オリックス春季キャンプとは? わかりやすく解説

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オリックス春季キャンプ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 09:40 UTC 版)

宮古島市民球場」の記事における「オリックス春季キャンプ」の解説

球場は、開場翌年1993年からオリックス・ブルーウェーブ当時)の春季キャンプ地として使用されていた。 しかし開場以来財政難などから施設面の改善は進まなかった。屋内練習場全面クレー舗装人工芝敷設されておらず、野球専用グラウンド市民球場1面しかない(ただし隣接地サブグラウンド1面あり)など周辺施設手狭であったため、オリックスキャンプ市内城辺地区にある宮古島市城辺総合運動公園分散して実施する形式城辺では二軍キャンプ実施となっていた。[要出典]2005年には、二軍二次キャンプ高知市東部野球場移された。 市はこのうち屋内練習場全面人工芝化を2006年中に実施する予定だったが、同年9月台風16号襲来練習場設備一部破損するなど被害を受け、着工12月ずれ込んだ。また11月30日にはオリックス金田義倫管理部長、小林晋哉育成部長施設視察したが、第二球場整備ブルペン拡張などが進んでいないことについて「14年間で要望が形になっていないことが多い」として市側に施設改善求めた金田らは「宮古島続けられるのが一番いい」としながらも、改善がなされなかった場合2008年シーズン以降撤退示唆していた。[要出典] だが、その後施設改善遅々として進まず2010年春季キャンプでは、市民球場外野部分雑草生えたままとなっているなど状態は粗悪で、オリックス村山良球団本部長が「プロが使うグラウンドではない」と発言するなど、施設面の不備指摘された。球団側は2010年2月13日に市に対し改善要請したが、充分でない場合2011年シーズン以降撤退を再び示唆した。市側はこれを受け、2010年中に外野改修工事等の対策行った2014年8月25日オリックス球団2015年度春季キャンプから、一軍会場宮崎市宮崎市清武総合運動公園野球場「SOKKENスタジアム」に移し宮古島市民球場から撤退することを発表したまた、二軍については2015年度引き続き球場使用するが、次年度以降については宮崎への移転検討を行うことも明かされた。 2015年8月24日オリックス球団2016年度春季キャンプより二軍宮崎移転して一、二合同キャンプ行い宮古島からは完全撤退することを発表したこの際オリックス瀬戸山隆三球団本部長は「宮古島には大変お世話になったが施設の老朽化もあった。一、二合同でやれた方がチームためになる思い断腸の思い宮崎に移ることになった」と説明している。これにより、オリックス・ブルーウェーブ時代1993年から始まった宮古島での春季キャンプは、23年幕を閉じることになった。 本球場メインスタンド正面向かい側には、オリックス1996年の日本シリーズ制し日本一輝いたことを称える記念碑と、2005年12月15日死去したオリックス監督仰木彬称える顕彰碑が、それぞれ建立されている。仰木顕彰碑には彼の座右の銘「信汗不乱」が刻まれている。仰木亡くなった直後には、球場の名称を仰木彬球場変更することも検討されたが、実現しなかった。

※この「オリックス春季キャンプ」の解説は、「宮古島市民球場」の解説の一部です。
「オリックス春季キャンプ」を含む「宮古島市民球場」の記事については、「宮古島市民球場」の概要を参照ください。

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