オリッサとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/11 02:33 UTC 版)
「アラー・ウッディーン・フサイン・シャー」の記事における「オリッサとの戦い」の解説
1508年から翌1509年にかけて、シャー・イスマーイール・ガーズィーをオリッサのガジャパティ朝に遠征させた。そして、この遠征軍はプリーにまで到達し、ジャージナガルとカタックを襲撃した。 当時、ガジャパティ朝の君主プラターパルドラは南への遠征で忙しかったが、この報を聞いてオリッサへと戻った。彼はベンガルの遠征軍を破り、ベンガルの国境まで追撃し、マンダラン城に包囲した。だが、それを攻め落とすことはできなかった。 以降、フサイン・シャーの治世を通して、ベンガルとオリッサの国境では断続的な争いが繰り広げられた。
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