エンコミエンダ・コレヒドール・ミタと資本流出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:34 UTC 版)
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「エンコミエンダ・コレヒドール・ミタと資本流出」の解説
征服活動が一段落したのちは漸次制圧地域の安定化が図られ、南アメリカのエンコミエンダ制やコレヒドール制、ミタ制といった植民地支配のための制度の整備は1569年から1581年まで着任したペルー副王フランシスコ・デ・トレド(スペイン語版、英語版)の統治によって完成した。ミタ制でかき集められ、ポトシの鉱山で強制労働に服したインディオは強制労働によって多数死亡し、「鉱山のミタ」はインディオから恐れられた。 ポトシ鉱山は1545年に現ボリビア共和国の南部に当たる地域に発見されたが、その豊富な銀を採掘するためにトレドの改革によって定められたミタ制によってティティカカ湖周辺やクスコから集められた人々は酷使されたのである。トレドは1572年に水銀アマルガム法を導入して銀生産量を上げたが、採掘のために酷使された先住民の多くは苦役の末に死亡し、その数は100万人とも言われる。このようにインディオは奴隷や農奴として搾取され、安価で酷使されるプロレタリアートとなってスペイン人の経済活動に奉仕させられた。 イスパノアメリカのポトシやグアナファト、サカテカスの鉱山では銀が、ベネズエラではプランテーション農業でカカオなどが、インディオや黒人の奴隷労働によって生産され、生産された富はスペインでは蓄積されずに戦費や奢侈に使われ、西ヨーロッパ諸国に流入して価格革命や商業革命を引き起こした。この重商主義的過程は、大西洋三角貿易によるイギリス領バルバドスやジャマイカ、フランス領サン=ドマングでの砂糖プランテーションによる収益や、18世紀のゴールドラッシュによりポルトガル領ブラジル(ポルトガル語版、英語版)からイギリスに大量に流出した金と共に、西ヨーロッパ諸国の資本の本源的蓄積を担い、オランダやイギリスにおける産業資本主義の成立と、それに伴うヘゲモニーの拡大を支えた。 一方、ヨーロッパの繁栄とは対極にラテンアメリカ現地では資本流出により経済の従属と周辺化が進み、僅かに残った資本もスペイン同様奢侈に使われ、蓄積されることがなかった。鉱山やプランテーションでの重労働により民衆の困窮も続いた。エドゥアルド・ガレアーノは西インド諸島での奴隷貿易や、砂糖プランテーションによる西ヨーロッパ諸国の資本の本源的蓄積と併せてこの過程をこう述べている。 「この全過程は、たとえて言えば、ある一式の血管から別の血管にポンプで血液を注入する過程だった。すなわち今日の開発の進んだ国々は開発を進め、他方、開発の遅れている国々は低開発を開発していったのである。」
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