エンコミエンダの衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:27 UTC 版)
「エンコミエンダ制」の記事における「エンコミエンダの衰退」の解説
「インディアス法」、「インディアス新法」、および「プリンキパリア」も参照 16世紀半ばには、早くもエンコミエンダ制の没落が始まった。エンコメンデーロたちは封建時代のような世襲制があるものと考えていたが、スペイン王権は、俸給制に基づく官吏による新大陸の統治の見通しがつき、この制度の撤回に着手するようになった。 カスティーリャ女王イザベラ1世は先住民の奴隷化を禁止し、先住民を「王家の自由な臣下」とみなした。1512年に発布されたブルゴス法以降、様々な「インディアス法」が制定され、入植者と先住民との交流を規制した。先住民とスペイン人は、エンコミエンダ制度に基づいて救済を求めるためにアウディエンシアに訴えることができた。 ラス・カサスやドミニコ会を始めとしたスペインの修道士、知識人らは、制度の導入以来、その惨状から撤廃と先住民保護を訴え続けていた。彼らはエンコミエンダ制を名指しで非難し、いくつかの奴隷解放についての勅令があった後、最終的に1542年、インディアス新法が公布された。この法律によりエンコミエンダ制は公式に撤廃された、再び奴隷化を禁止しただけではなく、すでに奴隷になっている者も解放するように命じた。 エンコメンデロの没落には地域差があり、かなり後まで実力を保持した地域もある。実際には、エンコミエンダは18世紀後半まで残った。資源に乏しいユカタン半島では法的に特例を認められて18世紀末までエンコミエンダが残った。
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