エルパソ/シウダー・フアレス市電
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「エルパソ・ストリートカー」の記事における「エルパソ/シウダー・フアレス市電」の解説
テキサス州の西端、隣国メキシコと国境を接する都市・エルパソ市内に軌道交通が導入されたのは、南北戦争を経て多数の都市間鉄道が開通し、都市が急成長を始めていた1882年であった。当時はロバと馬を掛け合わせたラバが客車を牽引する形での運行が行われていたが、20年後の1902年に路面電車へと置き換えられた。この路面電車の出発式で、長年活躍していた6頭のラバの1頭であるマンディ(Mandy)が路面電車を蹴り出したエピソードが語り継がれており、エルパソ歴史博物館(El Paso Museum of History)には復元された車両と共にマンディの銅像が展示されている。 その後、路面電車は延伸を重ね、1920年代には総延長100 km(62 miles)・車両数100両以上という大規模な路線網が存在した。だが、モータリーゼーションの進展やエルパソの更なる発展の中で路面電車は路線バスへと置き換えられ、1937年までに大半の路線が廃止され1950年にはエルパソ市内の路線が消滅した。ただしその中でも例外的に運行が続いたのが、リオ・グランデ川の橋梁を経由しメキシコのシウダー・フアレスへ向かう国際路面電車であった。 1950年当時、エルパソ - シウダー・フアレス間の路面電車はナショナル・シティライン(英語版)が所有し、「エルパソ・シティライン(El Paso City Lines)」と言う愛称が付けられていた。同社はアメリカ合衆国各地の路面電車を買収し路線バスへの置き換えを進めた事で知られているが、エルパソ・シティラインについては両都市を移動する労働者や買い物客の利用が多かった事に加えてメキシコで路線バスを運営する権利を有していなかった事もあって存続が決定し、1947年(17両)と1952年(3両)にはサンディエゴ電鉄(英語版)(サンディエゴ)で使用されていた高性能路面電車・PCCカーの譲受による旧型電車の置き換えも実施された。そのうち後者は利用客の増加による追加譲受が決定したものである。 だが、このエルパソ・シティラインの利用客の増加はその利便性故にエルパソへ人々や金が流出し、やがてシウダー・フアレスの衰退を招くという危機感を抱かれる結果となり、1973年にシウダー・フアレスの商人らの要望に基づきメキシコ政府は同市における路面電車の免許を取り消した。これによりエルパソ側の区間も存在価値を失い、1974年5月をもって営業運転を終了した。しかし、最後まで使用されていたPCCカーの一部は解体される事無く、エルパソの都市整備に伴い保管場所が何度も移動されながらも2010年代まで残存した。
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