エコフィスク油田
【英】: ekofisk oilfield
ノルウェー南部の港町スタバンゲルの南西方約 310km のノルウェー領北海(水深 60 ~ 70m )に位置する、北海で最初に本格生産がなされた油田。 近隣の油田を含めてエコフィスク油田群ということもある。米国のフィリップス社により 1968 年に発見され、1971 年に生産が開始された。本油田で生産された原油は海底パイプライン(口径34インチ、長さ 345km )で英国のティーサイドへ、天然ガスは海底パイプライン(口径36インチ、長さ 442km )でドイツのエムデンへ送られている。これまでに原油暴噴事故、メイン・プラットホーム沈下などのトラブルを起こしている。 地質区としては北海盆地(リフト盆地)内のセントラル地溝に属し、集油形態は岩塩の貫入により形成されたドーム構造、集油面積は 48.5km2 。油層は白亜紀~第三紀暁新世のチョーク(石灰岩の一種)で、深さは約3,000m である。発見当時に発表された究極可採埋蔵量は、原油 15 ~ 17 億バレル、ガス 4 ~ 5 兆立方フィートであった。原油比重は 41.1°API 、イオウ分 0.2 %。また、油田群全体のブレンド油性状は、比重 43.4°API 、イオウ分 0.14%。 生産量は、1998 年に原油 37 万バレル/日台を記録したが、それ以降は 25 万バレル/日台で推移している模様。これまでの生産トレンドから見て、累計生産量は上記の究極可採埋蔵量を超えて20億バレル前後に達しているものと推定される。 主文献『世界の大油田』(1984)、『石油地質・探鉱用語集』(1989)、“Structural Traps IV”(1990)、『北海油田 ―30年の軌跡― 』(2000) (齊藤 隆、2006 年 3 月) |

エコーフィスク油田
(エコフィスク油田 から転送)
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ナビゲーションに移動 検索に移動エコーフィスク油田 | |
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国 | ノルウェー |
場所 | 北海中部 |
ブロック | 2/4, 2/7, 7/11 |
陸上/海上 | 海上 |
座標 | 北緯56度32分57.11秒 東経3度12分35.95秒 / 北緯56.5491972度 東経3.2099861度座標: 北緯56度32分57.11秒 東経3度12分35.95秒 / 北緯56.5491972度 東経3.2099861度 |
運営者 | ConocoPhillips Skandinavia AS |
共同運営 |
ペトロ エクイノール Eni コノコフィリップス トタル |
開発史 | |
発見 | 1969年 |
生産開始 | 1971年 |
エコーフィスク油田(エコーフィスクゆでん、ノルウェー語:Ekofiskfeltet)はスタヴァンゲルから南西320キロメートル離れた北海油田の一つ。エコーフィスク油田は1969年に発見され、北海油田の中で最も重要な油田の一つである。生産は1971年に開始され、海上にはコノコフィリップスが石油プラットフォームを建設しており、遅くとも2050年までは操業可能である。
エコーフィスク油田にはCod、Ekofisk、West Ekofisk、Tor、Albuskjell、Eldfisk、EddaそしてEmblaの鉱区から構成される。エコーフィスク油田の中心には、周辺のValhall、Hod、Gyda、Ula、スタートフィヨルド、Heimdal、TommelitenそしてGullfaksといった油田への中継基地となる広大なプラットフォームと輸送ハブからなる建築物が存在し、その建築物は29のプラットフォームから構成されている[1]。エコーフィスク油田で採掘された原油はNorpipeを通して、コノコフィリップスが経営するイギリスのTeessideの基地へ輸送される[2]。天然ガスはNorpipeを通してドイツのエムデンに輸送される[3]。
地盤沈下
1980年代半ば、エコーフィスク油田は予想不能の地盤沈下に苦しめられた。地質調査の結果、エコーフィスク油田がある地盤は石灰岩の地盤であることが判明した。石油、天然ガスといった炭化水素が生産され、地盤の下には炭化水素の代りに水に置き換えられたため、石灰岩が溶け始めたのであった。地盤沈下は数メートル記録し、フィリップスがプラットフォームの操業するには困難になった状況に陥った時までに6メートルの地盤沈下になったと推測されている。ノルウェー政府はフィリップスに対し地盤沈下対策をとるよう迫り、またフランスのテクニップに問題解決を命令した。7つのうち5つのプラットフォームが相互に連結し同時に6メートル、ジャッキで持ち上げられなければならなかった。この解決策によりプラットフォームの鉄製の脚が伸ばされた。結果としてこれらの脚に巨大なフランジが溶接され、5つのプラットフォームは1回の作業で同時に持ち上げられた。すべてのフランジが溶接されたのちに、プラットフォームは安全になった。1987年8月17日から4日間にかけ、14のNUM 760FCNCと連結した108の液圧式懸架装置(hydraulic cylinders)によりこの作業が行われた [4]。プラットフォームを38時間で6メートル持ち上げる為に、プラットフォームの高さのずれの許容範囲はプラスマイナス100ミリメートルしかなかったため、液圧式懸架装置の高さのずれの許容範囲は相互にプラスマイナス3ミリメートルしかなかった。脚にフランジを溶接している間に、これらの液圧式懸架装置が問題がひとつない機械として取り付けられた。6メートル持ち上げる前に一日かけ、他のプラットフォームと連結していない宿泊用プラットフォームが持ち上げられた。持ち上げられたプラットフォームの重量は約40,000トンであり、ギネスブックにも記録されている。
Bravoからの原油流出
1977年4月11日、油井内の安全弁が正しく取り付けられていなかったことからEcofisk Bravo platformで停電が発生し[5]、その結果、推定80,000~126,000バレルの原油流出となった北海油田史上最大の原油流出事故となった。アメリカ合衆国出身の消防士Red Adairとその同僚はこの流出事故に対処した[6]。
関連項目
脚注
- ^ “Ekofisk Center”. SubseaIQ. Bishop Interactive. 2010年5月15日閲覧。
- ^ “ConocoPhillips Gets Go Ahead to Use Norpipe Oil Pipeline Until 2028”. Rigzone. (2008年7月22日) 2009年11月10日閲覧。
- ^ (PDF) Natural gas in the Nordic countries, Nordic Energy Perspectives, (March 2009), p. 31 2009年11月10日閲覧。
- ^ (PDF) Special Ekofisk, NUM, (October 1987), pp. 1–2 2011年1月26日閲覧。
- ^ Oil Rig Disasters - Ekofisk Bravo Platform
- ^ Red Adair, Oilwell Firefighter, American Hero - His Story...
外部リンク
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