イギリス自由貿易の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:20 UTC 版)
イギリスは17世紀から18世紀にかけて重商主義による保護貿易を進め、名誉革命(1688年-1689年)によって市民には営業の自由(freedom of trade)が保障された。英語の trade は経済活動に幅広く使われる語であり、国内の取り引きや、国外の貿易にあたる。個人の経済活動の自由を貿易の自由につなげたのが、『国富論』(1776年)を書いたアダム・スミスだった。スミスは人々の分業が生産を増進すると論じ、それを国家の関係にも拡張して貿易による国際分業を論じた。 イギリス政府の保護貿易政策によって綿織物業や鉄鋼業などが成長し、19世紀前半にはイギリス工業は世界的に優位に立った。スコットランドは、イングランドに比べて国内市場が小さいために経済活動を国外に求め、貿易独占権をもつイギリス東インド会社と利害が対立する。グラスゴーをはじめとする各地の利害関係者は、自由貿易を求めてロビー活動を行った。他方、東インド会社は18世紀末から不振に陥り、かわってアジア域内で活動するカントリー・トレーダーと呼ばれる貿易業者が利益をあげて急成長した。こうした状況により、東インド会社のアジア貿易独占は撤廃された。工業化と植民地を背景にした自由貿易が国をより優位にすると考えられ、産業資本家・商人・投資家を中心に自由貿易が支持された。 自由貿易は、国際秩序を保つ政策としても論じられるようになった。マキャヴェッリやトマス・ホッブズの時代の政治思想とは異なり、商業による国家の結びつきが重視されるようになった。哲学者のデイヴィッド・ヒュームは著書『貿易の嫉妬について』(1758年)で、貿易にまつわる感情を分析し、国家は貿易によって相互利益を得ると論じた。アダム・スミスは『国富論』で戦争と貿易を比較し、隣国の経済的な繁栄は敵対状態ならば危険でも、平和で貿易ができるなら自国の繁栄につながるとした。政治家のリチャード・コブデンは、軍備の縮小と平和をもたらすための手段として自由貿易を支持した。
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