イギリス艦隊に対する行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/26 12:59 UTC 版)
「1779年の無敵艦隊」の記事における「イギリス艦隊に対する行動」の解説
ドルビリエールはイギリス艦隊がイギリス海峡にいないことを知らなかった。ハーディ提督はフランス艦隊が6月に大西洋に出て行ったことを知ると、シリー諸島沖でパトロールを続けていた。8月14日、イギリス海岸から視認できる海域に大艦隊が出現したことで、警鐘の波がすばやくイギリスの国中に伝えられた。しかしその警鐘は、ハーディのパトロールに加わるために8月15日にプリマス港を出航したイギリス海軍のHMSアーデントには伝わらなかった。8月16日、このとき海峡を東に緩り航行していたフランスとスペインの艦船には、フランスから回航の命令が届いた。陸兵の上陸のための最善の場所をコーンウォールのファルマス近くにすると決められたからだった。ドルビリエはこれが大変悪い着想だと考え、フランス政府に再考を促す返信を送った。その翌日アーデントが合同艦隊の外郭をなすフランス戦隊に出くわしたが、それがイギリス艦隊だと思い込まされ、すぐさま捕獲された。 合同艦隊はプリマス沖で停船し、ドルビリエールの伝言に対する返事を待った。8月18日、東から強風が吹き、艦隊は遥か西、大西洋の方に流された。このことは良い結果も生んだ。再度東方に向かっていた8月25日に、やっとハーディ艦隊の所在が掴めた。合同艦隊は次第に病気や食料不足と闘うのが難しくなっていたので、素早くイギリス艦隊の動きを封じる挙に出ることにした。海戦を強いるつもりでシリー諸島の方向に舵を切ったが、ハーディは戦闘を避けることに決めた。8月31日、その艦隊は霧に隠れて、ランズ・エンド岬を過ぎ、その敵となる可能性のあった艦隊をできるだけイギリスの重要な海軍基地ポーツマスに向かわせるよう誘導した。9月3日、イギリス艦隊は全く損傷の無いまま、防御の厚いソレント海峡に到着し、戦闘の準備に取り掛かった。病気のために日々戦闘員が減っていた合同艦隊にとって、これは大きな問題だった。フランスの作戦参謀は、これ以上上陸を延期すれば、イギリスでの戦いが秋や冬に入ることも認識した。その日、合同艦隊はその作戦を中断し、ブレストへ戻る途に就いた。
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