アンドラ・ラ・ベリャ教区とは? わかりやすく解説

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アンドラ・ラ・ベリャ

(アンドラ・ラ・ベリャ教区 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 07:32 UTC 版)

アンドラ・ラ・ベリャ
Andorra la Vella

アンドラ・ラ・ベリャ(2012年撮影)
市旗 市章
位置
位置
アンドラ・ラ・ベリャ
アンドラ・ラ・ベリャ (アンドラ)
アンドラ・ラ・ベリャ
アンドラ・ラ・ベリャ (イベリア半島)
アンドラ・ラ・ベリャ
アンドラ・ラ・ベリャ (ヨーロッパ)
座標 : 北緯42度30分0秒 東経1度30分0秒 / 北緯42.50000度 東経1.50000度 / 42.50000; 1.50000
行政
アンドラ
 教区 アンドラ・ラ・ベリャ教区
 市 アンドラ・ラ・ベリャ
市長 Conxita Marsol Riart
アンドラ民主党英語版
地理
面積  
  市域 12[1] km2 (5 mi2)
標高 1,023 m (3,356 ft)
人口
人口 (2020年12月31日現在)
  市域 19,403人
    人口密度   1,617人/km2(3,881人/mi2
  備考 [2]
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 AD500
公式ウェブサイト : andorralavella.ad

アンドラ・ラ・ベリャカタルーニャ語: Andorra la Vella カタルーニャ語発音: [ənˈdorə lə ˈβeʎə]スペイン語: Andorra la Viejaフランス語: Andorre-la-Vieille)は、アンドラ公国首都および行政教区の一つ。アンドラの南西部に位置する。

地名のラ・ベリャ(la Vella)はカタルーニャ語のvellaではなく、ラテン語のvillaに由来しており、「アンドラの町」を意味している。

首都アンドラ・ラ・ベリャ

歴史

新石器時代から人が住んでいた跡がある。アンドラは、イベリア半島ムーア人との緩衝地帯として8世紀カール大帝によって設置されたスペイン辺境領の一つになる。1287年以来のフランスおよびカタルーニャウルヘル司教の共同統治の時代から、アンドラ・ラ・ベリャはアンドラの中心都市として機能していた。共同大公の制度のため、アンドラは独自性を保ち続けた。20世紀、アンドラ・ラ・ベリャは忘れられた地域であった。1993年、アンドラは初の憲法を制定、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷き、正式に独立国家となり、アンドラ・ラ・ベリャはその首都となる。2010年冬季オリンピック開催都市に立候補するも、最終選考に残らなかった。

地勢

フランススペインの国境地帯に聳えるピレネー山脈に位置するアンドラ公国の南西部にある。標高は1,409m。ヨーロッパの首都としては最高地点である[3]ケッペンの気候区分では温帯に属するが、スキーリゾートとしても名高い。

気候

アンドラ・ラ・ベリャ (Roc de Sant Pere:標高1,075m、1971–2000年、極値1934年-)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.0
(64.4)
20.0
(68)
24.8
(76.6)
29.0
(84.2)
29.2
(84.6)
37.4
(99.3)
39.0
(102.2)
35.9
(96.6)
32.0
(89.6)
31.0
(87.8)
21.2
(70.2)
19.0
(66.2)
39.0
(102.2)
平均最高気温 °C°F 6.9
(44.4)
8.9
(48)
11.7
(53.1)
13.3
(55.9)
17.6
(63.7)
21.9
(71.4)
26.2
(79.2)
25.4
(77.7)
21.4
(70.5)
16.0
(60.8)
10.7
(51.3)
7.5
(45.5)
15.6
(60.1)
日平均気温 °C°F 2.2
(36)
3.5
(38.3)
5.8
(42.4)
7.5
(45.5)
11.5
(52.7)
15.4
(59.7)
18.8
(65.8)
18.5
(65.3)
14.9
(58.8)
10.3
(50.5)
5.7
(42.3)
3.0
(37.4)
9.8
(49.6)
平均最低気温 °C°F −2.5
(27.5)
−1.8
(28.8)
−0.2
(31.6)
1.7
(35.1)
5.3
(41.5)
8.8
(47.8)
11.4
(52.5)
11.4
(52.5)
8.5
(47.3)
4.7
(40.5)
0.6
(33.1)
−1.4
(29.5)
3.9
(39)
最低気温記録 °C°F −15
(5)
−16
(3)
−11
(12)
−7
(19)
−2
(28)
0.0
(32)
3.0
(37.4)
2.0
(35.6)
0.0
(32)
−6
(21)
−10.5
(13.1)
−13
(9)
−19.5
(−3.1)
降水量 mm (inch) 53.1
(2.091)
37.9
(1.492)
40.5
(1.594)
71.2
(2.803)
89.8
(3.535)
84.2
(3.315)
60.7
(2.39)
85.6
(3.37)
80.9
(3.185)
72.4
(2.85)
68.4
(2.693)
67.9
(2.673)
812.3
(31.98)
出典1:ACDA[4]
出典2:Meteo Climat (record highs and lows)[5]

交通

人口が少なく山地ということもあり、首都ではあるが空港は無い。最も近い空港は、トゥールーズ・ブラニャック国際空港、ジローナ・コスタブラバ空港、ペルピニャン・リヴサルト空港、バルセロナ・エル・プラット国際空港などで、車で3時間は要する。鉄道の駅も無い。バスはフランス側のL'HOSPITALET PRES L'ANDORREやバルセロナ・エル・プラット国際空港行きの便がある。

人口

  • アンドラ人 33%
  • スペイン人 43%
  • ポルトガル人 11%
  • フランス人 7%

公用語はカタルーニャ語である。ローマ・カトリック教会の信者が大半である。

経済

アンドラ・ラ・ベリャは、公国の商工業の中心地である。家具の製造やブランデーで名高い。GDPの80%は観光業が生み出す。アンドラ・ラ・ベリャを訪れる外国人観光客は年間1,000万人にのぼる。タックス・ヘイヴンのために銀行業も盛んであり、多くの外国の金融機関が進出している。EUには加盟していないが、EUと関税協定を結び、使用通貨もユーロである。

文化

姉妹都市

出身著名人

アンドラ・ラ・ベリャ教区

アンドラ・ラ・ベリャ教区
位置
地理
面積  
  教区域 27[2] km2
人口
人口 (2020年12月31日現在)
  教区域 22,537人
    人口密度   835人/km2
  備考 [2]

アンドラ・ラ・ベリャ教区は、教区の1つで、最も面積が狭い一方、首都アンドラ・ラ・ベリャを擁し最も人口の多い教区である。教区内のサンタ・コロマにはアンドラ国内でも最古の教会の1つである、ロマネスク様式のサンタ・コロマ教会がある。

歴史

839年ラ・セウ・ドゥルジェイの教会献堂式の記録では「アンドラおよびサンタ・コロマ」の教区名で記録されている。1978年、この教区を分割する形でアスカルダズ=アングルダーニ教区が作られた[6]

人口は2020年時点[2]

  • アンドラ・ラ・ベリャ - 人口 19,403人
  • サンタ・コロマ・ダンドラ英語版 - 人口 3,134人
  • ラ・マルギネーダ英語版

ギャラリー

出典

  1. ^ Andorra la Vella fair” (英語). アンドラ・ラ・ベリャ自治体政府. 2021年7月26日閲覧。
  2. ^ a b c d Principality of Andorra”. Citypopulation.de (2021年4月14日). 2021年7月26日閲覧。
  3. ^ SOME OF OUR HISTORY...” (英語). Andorra Turisme SAU. 2021年7月26日閲覧。
  4. ^ Andorra La Vella 1971-2000 averages”. ACDA. 2016年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月3日閲覧。
  5. ^ Station Andorra la Vella” (French). Meteo Climat. 2016年10月14日閲覧。
  6. ^ Parishes of Andorra”. Statoids.com (2015年6月30日). 2021年7月26日閲覧。

アンドラ・ラ・ベリャ教区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 07:33 UTC 版)

アンドラ・ラ・ベリャ」の記事における「アンドラ・ラ・ベリャ教区」の解説

アンドラ・ラ・ベリャ教区は、教区1つで、最も面積が狭い一方首都アンドラ・ラ・ベリャ擁し最も人口の多い教区である。教区内のサンタ・コロマにはアンドラ国内でも最古教会1つである、ロマネスク様式のサンタ・コロマ教会がある。

※この「アンドラ・ラ・ベリャ教区」の解説は、「アンドラ・ラ・ベリャ」の解説の一部です。
「アンドラ・ラ・ベリャ教区」を含む「アンドラ・ラ・ベリャ」の記事については、「アンドラ・ラ・ベリャ」の概要を参照ください。

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