アクロバット金庫とは? わかりやすく解説

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アクロバット金庫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 09:30 UTC 版)

南方開発金庫」の記事における「アクロバット金庫」の解説

日本軍1941年12月25日香港占領した翌年1月クアラルンプールシンガポール3月ジャワ島占領した蘭印作戦)。マンダレーマニラ占領した南方軍現地通貨軍票を円と交換させなかった。この措置は、現地必要な資源開発資金物資付金日本から持ち出せなくした。この不都合解決するためには、臨軍費にもとづく現地軍票資金貸し出す他なかった。しかし本来、軍票軍事支払の手であったし、国庫会計として軍経理部が行うことはできなかった。そこで政府は、臨軍費から軍票資金借り入れてそれを融資する南方開発金庫設立計画した。 南発の設立準備開戦直後から着手された。1942年1月6日政府南方開発金庫法案要綱閣議決定した。さらに同月23日、第79議会南方開発金庫法案提出した法案骨子次のとおり。①南発は南方地域における資源開発および利用必要な資金供給しあわせて通貨と金融の調整をはかる。②南発を東京におき、政府認可をうけて必要なる地に支金庫出張所をおく。③出資金1億全額政府支出するが、日本国債充当可能とし、第一回払い込み資本金の一割以上とする。④職員公務員とみなす。⑤南発は地金銀の売買をふくむ市中銀行業務ができる。⑥政府認可をうけて、目的外の業務および借入れができる。⑦払込資本金の十倍まで南発は債券発行できる。⑧政府は南発が投融資によって受けた損失補償する契約をなすことができる。⑨臨軍費特別会計は南発に大し貸付をなすことができる。 南発法案従来植民地金融機関の例を逸脱するものであった。それで発券業務やる気なのかという懸念議会内外言われたが、法案無修正両院通過して1942年2月19日公布された(南方開発金庫法)。3月25日政府第一回出資金として三分利付国債国債1032万円交付し、南発は30日設立された。総裁には満鉄副総裁佐々木謙一郎任命された。副総裁日銀理事武井三郎であった理事次のような面々であった大内球三郎陸軍主計中将)、本田増蔵海軍主計中将)、安藤明道大蔵省大阪造幣局長)、太宰正伍(横浜正金銀行調査部長)、但木二王(ただき・ふたみ、台湾銀行為替部長)、立花定(日本曹達重役)、以上6名。監事太田嘉太郎日鐵常任監査役)と裏松友光貴族院議員)が就任した事務所東京アメリカンクラブにおかれた。1943年1月下旬、南発は急に発券業務認可された。政府貸上義務づけられた。

※この「アクロバット金庫」の解説は、「南方開発金庫」の解説の一部です。
「アクロバット金庫」を含む「南方開発金庫」の記事については、「南方開発金庫」の概要を参照ください。

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