アイルランドとの和解と在位60周年
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「エリザベス2世」の記事における「アイルランドとの和解と在位60周年」の解説
「エリザベス2世のアイルランド共和国公式訪問(英語版)」および「在位60周年記念式典(英語版)」も参照 2011年4月29日、孫で王位継承順位第2位のウィリアム王子が、学生時代から交際していたキャサリン・ミドルトンと結婚した。キャサリン(愛称:ケイト)は、資産家令嬢であるものの平民であったが、女王はその人柄と、何より長年交際していたことから、子供たちのように結婚生活が破綻しないだろうと安心していた。 女王は結婚に先立ち、ウィリアムをアイルランド近衛連隊長に任命しており、二人の婚礼で、ウィリアムは女王の命によりアイルランド近衛連隊の制服を着用していた。同日、女王はウィリアムをケンブリッジ公爵に叙爵した。 そして同年5月17日、1911年の祖父ジョージ5世による訪問以来、ちょうど100年ぶりにイギリスの君主としてアイルランド共和国を公式訪問している。1911年当時はイギリスの植民地(グレートブリテン及びアイルランド連合王国の一部)であったため、独立後としては初の訪問である。 1998年のベルファスト合意後の国民投票により、アイルランド共和国の北アイルランド領有放棄等が行われ、北アイルランド問題は一応の解決を見ていた。そこで、女王が祖父ジョージ5世の訪愛100周年を記念して、同地を訪問することで両国の和解と友好を図ることとなった。ダブリン城での晩餐会に、エリザベス2世はシャムロックの意匠のドレスと、アイルランドの象徴である竪琴(アイルランドの国章を参照)のブローチを新たに制作して着用し、さらに身に付けたティアラは祖母メアリ王妃が結婚する際、1893年に少女たちからの募金で献上された「グレート・ブリテンとアイルランドの少女たちのティアラ」(Girls of Great Britain and Ireland Tiara)だった。 翌2012年は、いよいよ在位60周年記念式典(英語版)に向けた巡幸を行い、6月に北アイルランドも訪問した。そして、マウントバッテン卿爆殺を指示したとされる元IRA暫定派で北アイルランド副首相のマーティン・マクギネス(英語版)と握手を交わし、和解を象徴づけた。各地の巡幸は、高齢となった女王自身は国内に専念し、チャールズ王太子夫妻やケンブリッジ公夫妻をはじめとする王室構成員総出で世界中のコモンウェルスを訪問した。5月18日の午餐会では、ヨーロッパのみならず日本の第125代天皇(当時、現:明仁上皇)等を含むアジアやアフリカ等、世界中の王候が集った。 6月にはビッグ・ベンの時計塔が在位60周年を記念し「エリザベス・タワー」に改称された。そして7月には、2012年ロンドンオリンピックが開催され、007シリーズに因んだ演出で臨場した女王は、自身で開会宣言を行った(#逸話も参照)。
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