アイルランドとの和解と在位60周年とは? わかりやすく解説

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アイルランドとの和解と在位60周年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:06 UTC 版)

エリザベス2世」の記事における「アイルランドとの和解と在位60周年」の解説

エリザベス2世アイルランド共和国公式訪問英語版)」および「在位60周年記念式典英語版)」も参照 2011年4月29日、孫で王位継承順位第2位ウィリアム王子が、学生時代から交際していたキャサリン・ミドルトンと結婚したキャサリン愛称ケイト)は、資産家令嬢であるものの平民であったが、女王その人柄と、何より長年交際していたことから、子供たちのように結婚生活破綻しいだろう安心していた。 女王結婚先立ちウィリアムアイルランド近衛連隊長に任命しており、二人婚礼で、ウィリアム女王の命によりアイルランド近衛連隊制服着用していた。同日女王ウィリアムケンブリッジ公爵叙爵した。 そして同年5月17日1911年祖父ジョージ5世による訪問以来、ちょうど100年ぶりにイギリスの君主としてアイルランド共和国公式訪問している。1911年当時イギリスの植民地グレートブリテン及びアイルランド連合王国一部であったため、独立後としては初の訪問である。 1998年ベルファスト合意後の国民投票により、アイルランド共和国北アイルランド領有放棄が行われ、北アイルランド問題は一応の解決見ていた。そこで、女王祖父ジョージ5世の訪愛100周年記念して同地訪問することで両国和解友好を図ることとなったダブリン城での晩餐会に、エリザベス2世シャムロック意匠ドレスと、アイルランド象徴である竪琴アイルランドの国章参照)のブローチ新たに制作して着用し、さらに身に付けティアラ祖母メアリ王妃結婚する際、1893年少女たちから募金献上された「グレート・ブリテンとアイルランド少女たちのティアラ」(Girls of Great Britain and Ireland Tiara)だった。 翌2012年は、いよいよ在位60周年記念式典英語版)に向けた巡幸行い6月北アイルランド訪問した。そして、マウントバッテン爆殺指示したとされるIRA暫定派北アイルランド副首相のマーティン・マクギネス(英語版)と握手交わし和解象徴づけた。各地巡幸は、高齢となった女王自身国内専念しチャールズ王太子夫妻ケンブリッジ公夫妻はじめとする王室構成員総出世界中コモンウェルス訪問した5月18日午餐会では、ヨーロッパのみならず日本第125代天皇当時、現:明仁上皇)等を含むアジアアフリカ等、世界中の王候が集った6月にはビッグ・ベン時計塔在位60周年記念しエリザベス・タワー」に改称された。そして7月には、2012年ロンドンオリンピック開催され007シリーズ因んだ演出臨場した女王は、自身開会宣言行った(#逸話参照)。

※この「アイルランドとの和解と在位60周年」の解説は、「エリザベス2世」の解説の一部です。
「アイルランドとの和解と在位60周年」を含む「エリザベス2世」の記事については、「エリザベス2世」の概要を参照ください。

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