アイルランドからスペイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/05 04:51 UTC 版)
「リチャード・ボイル (技術者)」の記事における「アイルランドからスペイン」の解説
1822年3月14日、ダブリンのヴィカーズ・アームストロング・ボイル(Vicars Armstrong Boyle)の三男として同市に生まれた。ヴィカーズ・ボイルは17世紀に北アイルランドに移住したエアシャー州ケルバーン(英語版)のボイル家分家筋の末裔である。母は同市デヴィッド・コートニー (David Courtney) の長女ソフィア (Sophia) 。私立学校を卒業し、三角法によるアイルランドの測量に2年間従事した後、チャールズ・ブラッカー・ヴィグノルズ(英語版)に師事した。契約満了後、アイルランドの鉄道敷設に携わった。当初はウィリアム・ダーガン(英語版)の助手として、ベルファスト・アーマー線、ダブリン・ドロヘダ線に投入された。1845年、ジョン・ベンジャミン・マクニール(英語版)卿の下で、グレート・サザン鉄道(英語版)、グレート・ノーザン鉄道(英語版)の調査及び一部敷設を行い、1846年から1847年にかけてロングフォード・スライゴ線の主任技術者に就任した。1852年秋、ジョージ・ウィラビー・ヘマンズ(George Willoughby Hemans、女流詩人の息子)の主任助手としてスペインで鉄道、水道の敷設に当たった。
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