ゆるふわギャングの結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 05:14 UTC 版)
「ゆるふわギャング」の記事における「ゆるふわギャングの結成」の解説
Ryugo IshidaとNENEはクラブイベント「BLUE MAGIC」で知り合った。2人のタトゥーの入り方が似ていたことがきっかけだった。当初Ryugoのことを知らなかったNENEは家に帰ったのち、彼について検索した。Ryugoの『YRB』のPVを観たNENEは「自分がやりたかったことが詰まっている」と感じ、彼に「一緒に曲を作りたい」と声をかけた。NENEはRyugoの「音楽で売れてやる」という気持ちの強さに感銘を受け、反対にRyugoもNENEの持つパワーに影響を受けた。NENEとRyugo、Ryugoの友人のラッパーのLUNV LOYAL(ルナ・ロイヤル)でチャンス・ザ・ラッパーの『No Problem(英語版)』のビートジャックをしたのが最初の共同制作だった。 NENEとRyugoが2人で作った最初の曲は『Fuckin’ Car』だった。夏に、遊びの帰りの車中で作られた曲だった。ビートはネットでフリーダウンロードしたものと、メールを通して価格交渉したものの2つを繋ぎ合わせて使った。NENEはRyugoのソロアルバム『EverydayIsFlyday』を聴き、リリックが「ゆるふわ」であると感じた。また、彼の刺青だらけの出で立ち、生い立ちの壮絶さから「ギャングっぽさ」も感じ、2つを重ねて「ゆるふわギャング」というユニット名を提案した。 Automaticの提案に乗り、2人はEPを作ることとなった。制作はスムーズに進み、1ヶ月ほどで5曲が完成した。彼らはその後1stアルバムをリリースするため、クラウドファンディングサイトのCAMPFIREで資金を募った。クラウドファンディングでの資金確保を提案したのはAutomaticだった。Automaticは以前より音源の売上のほとんどが宣伝と流通に持っていかれてしまい、多くのアーティストが生活のため、音楽活動と無関係の仕事をしなければならない現状に疑問を抱いており、「システムが崩壊に向かっているのならば、真剣に新天地への移住を考えてみよう」という考えのもとこうした形式での資金調達を試みた。目標金額は20万円だったが、最終的にはその457パーセントにあたる91万5000円が集まった。クラウドファンディングでの資金調達は若干の批判を集めたほか、土浦から東京に出てきたRyugoは一部から「地元を捨てた」とのヘイトを浴びた。 2016年11月に映画試写会のため山梨県を訪れたゆるふわギャングは『Mars Ice House』のアルバムイラストを描いたグラフィティライター・KANEとSD JUNKSTAのラッパー・WAXに出会う。嫌なことが立て続けにたくさんあり、意気消沈していた2人は、彼らから貰った激励の言葉に感激し、帰路の車中で歌詞を書き続けた。『stranger』『大丈夫』の2曲はこのときの経験をもとに作られた。 「 WAXさんはその日に初めて会ったんですけど、初対面のときから『ゆるふわじゃーん!』って来てくれて。それで『音楽好きだよ』みたいなことも言ってくれて、すごく嬉しかったんです。今までそういうことがなくって、曲とか作っても『いや、まだまだ』みたいな感じの人が多かったし、リュウ君の地元とかも同じ感じだった。でも、WAXさんたちに会って、純粋に良いモノを良いって言ってくれるオトナの人がいるんだ、と思って。それに食らっちゃって。 」 —Sophiee(INTERVIEW: ゆるふわギャングより)
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