週刊ぼくらマガジンとは? わかりやすく解説

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週刊ぼくらマガジン

(ぼくらマガジン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/15 15:45 UTC 版)

週刊ぼくらマガジン』(しゅうかんぼくらマガジン)は、「週刊少年マガジンの弟分」として講談社より発行されていた漫画雑誌1969年1号(11月18日)から1971年23号(6月1日)まで発行された。編集長は『週刊少年マガジン』『月刊少年マガジン』編集長の内田勝が兼務していた。

当時、『週刊少年マガジン』が大学生にも読まれるようになるなど、まんが読者層の高年齢化が進行していた。そのため『週刊少年マガジン』より低年齢層向けで、積極的にテレビ作品とタイアップするメディアミックス展開を前面へ出す雑誌として、幼年向け月刊雑誌『ぼくら』を誌名変更・週刊化して創刊されたが、高年齢化が行き過ぎた『週刊少年マガジン』本誌の部数が急落したことから、およそ1年半で『週刊少年マガジン』に統合される形で廃刊となった。また、幼年向けのメディアミックス展開は1971年11月創刊の『テレビマガジン』へ引き継がれた。

『週刊ぼくらマガジン』創刊前の『ぼくら』最終号までは、藤子不二雄の『ビリ犬』(安孫子単独作)が連載されていたが、『週刊ぼくらマガジン』の創刊時からは『週刊少年サンデー』の看板作家だった藤子不二雄藤本弘が単独で執筆する『モジャ公』が連載された。直前に終了した『ウメ星デンカ』を最後に『週刊少年サンデー』での週刊連載を切られた藤本に、安孫子の担当雑誌が譲られた形。藤本による講談社の連載は『てぶくろてっちゃん』(1966年の連載は安孫子との合作)以来となった。

対象年齢層を考慮し、掲載作品は変身ヒーロー漫画やSFアクション漫画が多かったが、時代の傾向もあってか、残酷描写、ブラックユーモアの比重が上がっていく。『週刊少年マガジン』本誌ではギャグ漫画を描いていた永井豪が後の『デビルマン』『バイオレンスジャック』へ繋がっていくストーリー漫画を描き始め、本誌執筆陣から平井和正がスライドしたことから、末期は対象年齢層の区別も曖昧になっていた。

主な連載作品

作品によって完結・未完・移籍と扱いが異なる。

 →週刊少年マガジンに移籍

 →週刊少年マガジンに移籍

 →週刊少年マガジンに移籍

脚注

  1. ^ 『ハルク(西郷虹星 森藤よしひろ)』投票ページ”. 復刊ドットコム. 2025年1月3日閲覧。




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