週刊ぼくらマガジン版
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「天才バカボンのエピソード一覧」の記事における「週刊ぼくらマガジン版」の解説
「週刊ぼくらマガジン」1971年20号~23号に連載。計4話。 週刊サンデー版が終了した翌年の1971年、『バカボン』のテレビアニメ化の話が入ってきた。赤塚は再び『バカボン』を描きたいと思うも、連載移籍の件でためらっていた。そこで古谷三敏がマガジン編集部に電話で依頼、その結果、週刊マガジンではなく、同誌の弟雑誌「週刊ぼくらマガジン」1971年20号からの連載となった。 1年ぶりの復活となったものの、わずか4号で「ぼくらマガジン」が休刊。だが『バカボン』は同誌に連載されていた『タイガーマスク』(梶原一騎・辻なおき)、『仮面ライダー』(石森章太郎)と共に週刊マガジンに移籍、1971年27号より連載を再開する。 4回限りの連載であったが、ラスト2回は後に頻繁に発表する「ある家族」ネタの原型となる話で、「BAKA型の輸血なのだ」は後半までパパが登場せず、「うらなう人の星の王子さまなのだ」ではラスト3頁しかパパが登場しない。また「BAKA型の輸血なのだ」では、古谷(フジオ・プロ)が「週刊少年サンデー」に連載していた『ダメおやじ』から、ダメおやじこと雨野ダメ助がゲスト出演した。 なお、「週刊少年マガジン」1973年50号に掲載された「最終回のヤケクソ漫画なのだ」のラスト、『バカボン』連載断念の「急報」(実はギャグで、3週休載しただけで再開)に、「六年前後のながいあいだ連載しました『天才バカボン』〜」と記載、また同誌1975年2号掲載の「ほんとのほんとうの最終回なのだ!!」(こちらは真の最終回)で、冒頭、赤塚の連載終了コメントに「今回まで約七年半のあいだ〜」と記載されており、『バカボン』が「少年サンデー(週刊・デラサン)」や「ぼくらマガジン」でも連載していたことには一切触れていない。
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