12月の雨の日/はいからはくち
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「12月の雨の日 / はいからはくち」(じゅうにがつのあめのひ / はいからはくち)は、1971年4月1日はっぴいえんど通算1作目のシングル。
に発売された注釈
- ^ V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 1970年10月10日KING 2LP:KR-7018-9 発売
- ^ 2014年ボックス・セット『はっぴいえんどマスターピース』付属の「はっぴいえんど資料集」用に今回撮影されたオリジナル・マスターテープの表書きには、“昭和45年12月3日”という日付とともに“ディレクター(D.) 小倉エージ、エンジニア(Mix.) 島(島雄一)”と明記されている[3]。 リリースの
- ^ George Harrison「My Sweet Lord」Released in 23 November 1970 (US), Apple Records 7" single:2995
- ^ 小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで北山修やはしだのりひことシューベルツ、ジャックス、さらには六文銭、中川五郎はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった細野晴臣に接触。岡林信康のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた[4]。
- ^ 『ライブ!! はっぴいえんど』 1974年1月15日 発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
- ^ 『THE HAPPY END』 1985年9月5日 発売 CBS/SONY LP:18AH 1993, 1985年11月3日 発売 CBS/SONY CT:18KH 1755
- ^ The Crystals「Da Doo Ron Ron」 Released in April 1963 (US), Philles Records 7" single:Philles 112
出典
- ^ 篠原章「ライヴ、編集アルバムとシングル」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、114-117頁、ASIN B001FADJZ2。
- ^ a b 大瀧詠一『大瀧詠一』(12cmCD)Yoo-Loo / Oo Records、1995年。OOCO 1。
- ^ a b 小倉エージ「特集 はっぴいえんど『果たせなかった再会 -“ゆでめん”を作ったころ、夢見ていた音楽のこと』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、38-40頁。
- ^ 小倉エージ「一枚のシングルからはじまった伝説」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、96-101頁、ASIN B001FADJZ2“デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み”
- ^ 萩原健太「対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、442-453頁、全国書誌番号:00039156“スペクターの凄さに気づいて”
- ^ 湯浅学「1970-1972」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、6-43頁、全国書誌番号:00039156“はっぴいえんどの初シングル”
- ^ a b 篠原章「特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、52-61頁“風街ろまん”
- ^ 『自伝 鈴木茂のワインディング・ロード』株式会社リットーミュージック、2016年3月25日、59-80頁。ISBN 978-4-8456-2793-6。"第5章 歴史的名盤『風街ろまん』"。
- ^ 志田歩「はっぴいえんど全曲ガイド」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、101-113頁、ASIN B001FADJZ2“風街ろまん”
- 1 12月の雨の日/はいからはくちとは
- 2 12月の雨の日/はいからはくちの概要
- 3 リリース
- 4 外部リンク
はいからはくち
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「12月の雨の日/はいからはくち」の記事における「はいからはくち」の解説
「はいからはくち」は、モビー・グレープ「オマハ」からの影響が濃厚な作品。松本隆が大滝に歌詞を渡したのが1970年8月27日 (1970-08-27)、日比谷野音で行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴と博士もひっかけた上でのひらがな表記になっている。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん』収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで、大滝の初期ノヴェルティ作品に位置づけられる。演奏は3種類に分類され、一つはいちばん古いスタイルのシャッフル版で、小坂忠がコーラスで参加した別テイク、山崎聖次がエンジニアを務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたる。もう一つがアルバム版。シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成は明らかに異なっている。1972年 (1972)以降は大滝詠一「ウララカ」と等しい構成で演奏されるケースが出てくる。フィル・スペクター制作の「ダ・ドゥ・ロン・ロン」 を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている。
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