はいからはくちとは? わかりやすく解説

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12月の雨の日/はいからはくち

(はいからはくち から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/16 04:14 UTC 版)

12月の雨の日 / はいからはくち」(じゅうにがつのあめのひ / はいからはくち)は、1971年4月1日 (1971-04-01)に発売されたはっぴいえんど通算1作目のシングル


注釈

  1. ^ V.A『自然と音楽の48時間 〜'70全日本フォークジャンボリー実況録音』 1970年10月10日 (1970-10-10)発売 KING 2LP:KR-7018-9
  2. ^ 2014年 (2014)リリースのボックス・セット『はっぴいえんどマスターピース』付属の「はっぴいえんど資料集」用に今回撮影されたオリジナル・マスターテープの表書きには、“昭和45年12月3日”という日付とともに“ディレクター(D.) 小倉エージ、エンジニア(Mix.) 島(島雄一)”と明記されている[3]
  3. ^ George HarrisonMy Sweet Lord」Released in 23 November 1970 (US), Apple Records 7" single:2995
  4. ^ 小倉エージは当時、アート音楽出版の社員で、これまで北山修はしだのりひことシューベルツジャックス、さらには六文銭中川五郎はじめURCレコードの制作現場に携わった。かねてからロック・バンドのレコーディングを望んでいたことから、かねてより面識があった細野晴臣に接触。岡林信康のバッキングのオファーをきっかけとして、結成間もないはっぴいえんどをURCレコードと契約させる。デビュー・アルバムの『はっぴいえんど』にはディレクターとして参加するが、レコーディング終了後マスターテープが完成した段階で体調を崩し、アルバム・リリースを前にアート音楽出版を退社。療養のため神戸に帰郷。その後、はっぴいえんどがバッキングを担当した岡林のシングル2作と本作には、既に社員ではなかったが収録に立ち会っていた[4]
  5. ^ ライブ!! はっぴいえんど』 1974年1月15日 (1974-01-15)発売 Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
  6. ^ THE HAPPY END』 1985年9月5日 (1985-09-05)発売 CBS/SONY LP:18AH 1993, 1985年11月3日 (1985-11-03)発売 CBS/SONY CT:18KH 1755
  7. ^ The CrystalsDa Doo Ron Ron」 Released in April 1963 (US), Philles Records 7" single:Philles 112

出典

  1. ^ 篠原章「ライヴ、編集アルバムとシングル」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、114-117頁、ASIN B001FADJZ2 
  2. ^ a b 大瀧詠一大瀧詠一』(12cmCD)Yoo-Loo / Oo Records、1995年。OOCO 1。 
  3. ^ a b 小倉エージ「特集 はっぴいえんど『果たせなかった再会 -“ゆでめん”を作ったころ、夢見ていた音楽のこと』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、38-40頁。 
  4. ^ 小倉エージ「一枚のシングルからはじまった伝説」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、96-101頁、ASIN B001FADJZ2“デビュー作のディレクターが見たはっぴいえんどの歩み” 
  5. ^ 萩原健太「対談 大瀧詠一 × 山下達郎『フィル・スペクター “50年代”を発展させた新しいポップス制作術』」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、442-453頁、全国書誌番号:00039156“スペクターの凄さに気づいて” 
  6. ^ 湯浅学「1970-1972」『大滝詠一 Talks About Niagara Complete Edition』第33巻第7号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年4月1日、6-43頁、全国書誌番号:00039156“はっぴいえんどの初シングル” 
  7. ^ a b 篠原章「特集 はっぴいえんど『全曲/全テイク・ガイド完全版』」『レコード・コレクターズ』第33巻第4号、株式会社ミュージック・マガジン、2014年3月1日、52-61頁“風街ろまん” 
  8. ^ 『自伝 鈴木茂のワインディング・ロード』株式会社リットーミュージック、2016年3月25日、59-80頁。ISBN 978-4-8456-2793-6。"第5章 歴史的名盤『風街ろまん』"。 
  9. ^ 志田歩「はっぴいえんど全曲ガイド」『はっぴいな日々』第19巻第10号、株式会社ミュージック・マガジン、2000年7月31日、101-113頁、ASIN B001FADJZ2“風街ろまん” 


「12月の雨の日/はいからはくち」の続きの解説一覧

はいからはくち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 14:36 UTC 版)

12月の雨の日/はいからはくち」の記事における「はいからはくち」の解説

「はいからはくち」は、モビー・グレープオマハ」からの影響濃厚な作品松本隆大滝歌詞渡したのが1970年8月27日 (1970-08-27)、日比谷野音行われていた“10円コンサート”の会場だった。タイトルは“ハイカラ白痴”と“肺から吐く血”のダブル・ミーニングで、さらに白痴博士ひっかけた上でひらがな表記になっている。シングル・ヴァージョンは、『風街ろまん収録のアルバム・ヴァージョンより3か月ほど前に録音された。「いらいら」「颱風」と並んで大滝初期ノヴェルティ作品位置づけられる。演奏3種類に分類され一つはいちばん古いスタイルシャッフル版で、小坂忠コーラス参加した別テイク山崎聖次がエンジニア務めたシングル・ヴァージョンがこれにあたるもう一つアルバム版シャッフル版のヴァリエーションともいえるが、曲構成明らかに異なっている。1972年 (1972)以降大滝詠一ウララカ」と等し構成演奏されるケース出てくる。フィル・スペクター制作の「ダ・ドゥ・ロン・ロン」 を“起源”とすることから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」版と言われている。

※この「はいからはくち」の解説は、「12月の雨の日/はいからはくち」の解説の一部です。
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