その後の改造ほか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:03 UTC 版)
「秩父鉄道100形電車」の記事における「その後の改造ほか」の解説
更新完成後は長年にわたり秩父鉄道の主力車を務め、主電動機の強トルクと比較的低速での運転環境を活かした1M2T、2M3Tの低電動車比編成も組んで運用された。 1962年(昭和37年)に客用扉のステップが撤去された。続いて1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)にかけて更新工事が実施された。デハ100形は三峰口向き運転台を撤去の上で貫通扉を設置(窓配置はd.3D7D5に変化)、制御車は熊谷方の連結面に貫通扉が設置され、固定編成となった。また運転室は奥行きが拡張され、前面窓も中央の窓が大きい、Hゴム支持方式となった。このほか、客用扉の自動化、機器の車両間分散配置、密着自動連結器への交換などが実施されている。 なお、クハニ29とこの時期に事故を起こしたクハ62は更新工事の対象から外れ、それぞれ1966年と1973年(昭和48年)に廃車された。またクハ60形のうち3両 (61, 63, 64) は更新と同時に附随車に改造され、番号はそのままにサハ60形に改称された。結果2両編成10本、3両編成3本となった。 その後、郵便輸送の廃止により、クハユ31は1973年にクハニ20形に編入されクハニ29 (2代)となった。また、制御車は台車を1963年に住友FS41に変更している。 残った車両は、800系および1000系の入線により、1980年(昭和55年)から1988年にかけて廃車になった。1988年にはさよなら運転が行われ、最後の花道を飾った。
※この「その後の改造ほか」の解説は、「秩父鉄道100形電車」の解説の一部です。
「その後の改造ほか」を含む「秩父鉄道100形電車」の記事については、「秩父鉄道100形電車」の概要を参照ください。
- その後の改造ほかのページへのリンク