その他の江の島道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:40 UTC 版)
江の島裏街道藤沢市鵠沼神明の浄土宗法照寺参道入口の左側に杉山検校が建てた江の島弁才天道標が立っている。これはもともとこの場所にあったものではなく、1929年に敷設された小田急江ノ島線の線路敷や1937年に開設された日本精工藤沢工場敷地にあったものを、他の庚申塔や道祖神塔などと共に法照寺境内に集められたものと考えられている。工場建設以前の地図によれば、工場北部を通る「中学通り」(現在は「湘南通り」とも呼ばれる。かつての湘南中学、現在の神奈川県立湘南高等学校に沿うことによる。この道は古くは鎌倉街道のひとつであり、現在の神奈川県道32号藤沢鎌倉線に繋がっていた)から分岐し、ほぼ現在の小田急江ノ島線と平行に東海道本線一本松踏切に至る道路が見られる。これがかつての江の島道であり、この途中あるいは中学通りとの分岐点に法照寺の道標は立っていたと考えられる。一本松踏切の先で左折した道は、小田急江ノ島線の踏切を渡り、その先で「橘の辻」と呼ばれる三叉路になる。ここに1715年(正徳5年)建立の庚申塔が見られるが、その右側面に「右ゑのしまみち」と彫り込まれている。ここから右に進む道は古い地図には「江の島裏街道」と書き込まれているものがある。そこをたどると藤沢橘通郵便局のある辻に至る。この先は大正後期に行われた宅地造成により道筋が不明になっているが、境川の石上の渡しで藤沢宿からの江の島道に合流していた。 浜道鎌倉時代の文人鴨長明が「浦近き砥上ヶ原に駒止めて固瀬の川の潮干をぞ待」と詠んでおり、海岸線に沿った道の存在が予想される。江戸時代には江戸庶民による大山詣りが盛んになり、その帰途に江の島、鎌倉、金沢八景を回るルートもあったことは、落語の大山詣りにも扱われている。大山と江の島を結ぶ最短ルートとしては、「田村通り大山道」を東海道の四ツ谷に出て、ここから辻堂、鵠沼をたどることが考えられるが、このルートは現在明確ではない。風による砂丘の移動や洪水による引地川河道の移動など、不安定要素が多すぎるためである。ただ、現在藤沢市役所新館脇に移設された杉山検校の江の島弁才天道標がもともと藤沢市辻堂にあったことや、藤沢市道鵠沼海岸線の鵠沼運動公園交差点付近にも杉山検校が建てた江の島弁才天道標があった(現在は近くの民家の庭に移設)ことから、これらを結ぶ江の島道の存在が考えられる。
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