じ しゅうとは? わかりやすく解説

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時衆/時宗(じしゅう)

一遍上人一遍智真:1239-1289)の開創した、鎌倉新仏教宗派一つ宗派としては時宗呼ばれその構成員は自らを時衆と称した。時衆の宗教儀礼である「踊り念仏」は、盆踊り誕生きわめて大きな意味を持つ。

時衆の特徴は、①宗教的儀礼として「踊り念仏」を盛んに催したことと、②開祖一遍をはじめ時衆が全国漂泊回遊(=「遊行」)する遊行聖として布教つとめことである。その足跡陸奥から薩摩まで文字通り全国におよび、結果として踊り念仏全国念仏踊り芸能母体となった考えられる中世教団実態閉鎖的なものではなく構成員は「一向宗」とも深く交じわるものであったらしい。

歴史的には、時衆は先行する融通念仏念仏信仰ベースとしている。
一遍自身融通念仏勧むる聖」と言われ融通念仏であった一遍たくさんの人を集め集客手法融通念仏から学んだ。彼が人々配った南無阿弥陀仏六十万人決定往生」の賦算(ふさんふだ)と呼ばれるが、この賦算という方式融通念仏が得意とする集客手法であった(このは現在でも藤沢遊行寺遊行上人により配られている)。
一遍取り入れた踊り念仏も、実はすでに融通念仏芸態としていたものであった。しかし、中世中~後期における踊り念仏全国的普及には、やはり一遍と時衆教団貢献大きいと考えられる

一遍死後14世紀末から15世紀全国的に教線を伸ばしたが、16世紀には衰退して本願寺教団などに拠点を奪わることもあった。注目されるのは、中世時衆の拠点都市的な場であったことであり、時衆遺跡存在中世都市指標一つにもなっている。たくさんの人への布教目指す時衆は、必然的に都市的な場所を拠点選んだ踊り念仏から盆踊りへの変化考え上でも、中世都市問題への注目が必要となる。
中世の時衆はまた、死者供養・鎮送の役割担っていた。戦国時代、時衆はしばし戦場現れ戦死者供養行ったこの際催され大念仏踊り念仏が、後の盆踊り発展する契機となった考えられる

江戸時代になると、時衆は幕府により統制される全国回国する「遊行上人」と、引退後の「藤沢上人」の両頭体制であった

一遍上人事績伝え史料としては、弟子聖戒絵師円伊による「一遍聖絵」と、二祖他阿真教の「一遍上人絵伝」が有名。史料的価値が高いのは「聖絵」である。平成15年春の研究で、聖絵における一遍はもともと全裸描かれていたことが判明徹底した捨聖」(すてひじりとしての姿が明らかになり、関係者衝撃与えた





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