首里城跡とは? わかりやすく解説

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首里城跡

名称: 首里城跡
ふりがな しゅりじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 沖縄県
市区町村 那覇市首里
管理団体
指定年月日 1972.05.15(昭和47.05.15)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成11.01.28
解説文: S47-5-171[[首里]しゅり]城跡.txt: 首里丘陵の最高部にあり、その創建年代不明であるが、第1尚氏による三山統一後王城として確立したその後、第2尚氏尚真尚清によって、王城東南石垣二重にし、「継世門」を設け今日規模ができ上がったものであろう
 城は那覇より東行する大道中山門守礼門城門第一門として歓会門、外郭には久慶門・継世門をひらき、内郭には瑞泉門・淑順門・白銀門を設け、これらの門を石垣つらねていた。内郭には木造の諸宮殿建立する。その正殿は最も雄大であり、前面左右に[[南風殿]はえおどん]・[[北殿]にしおどん]が相対し、そのまわり書院内原書院等が存在していた。これらは、すべて今次大戦失われ城内拝所「[[首里]しょりもり]」も原形失ったが、守礼門のみ復元された。しかし、首里城沖縄代表する城であり、王城としての構えをなお十分に伺うことができる。
H10-12-045[[首里城跡]しゅりじょうあと].txt: 琉球王国王城であった首里城跡の西北歓会門と守礼門の間に[[園比屋武御嶽]そのひゃんうたき]がある。園比屋武御嶽は、国王城外出御する際に、道中平安祈願した場所と伝えられ拝殿に当たる石造の門が現存する。門は単層平入唐門で、門の扁額によって、正徳14年1519)、尚真王時代創建されたものであることが知られる
 第2次世界大戦の際に損壊したが、昭和32年修復され、同47年国の重要文化財指定されている。首里城における琉球国王祭祀にかかわる遺跡として追加指定し保存万全図ろうとするものである



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