飯野坂古墳群とは? わかりやすく解説

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飯野坂古墳群

名称: 飯野坂古墳群
ふりがな いいのざかこふんぐん
種別 史跡
種別2:
都道府県 宮城県
市区町村 名取市飯野坂名取が丘
管理団体
指定年月日 1978.03.16(昭和53.03.16)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S51-12-006[[飯野坂古墳群]いいのざかこふんぐん].txt: 宮城県中央部名取平野に臨む名取丘陵は、東北地方でも有数大規模な古墳集中して営まれた所として著名な地である。この丘陵比高30メートルを測り、平野面する東端には、東北地方最大雷神山古墳西方には大塚山古墳、さいの窪古墳群等がある。飯野坂古墳群は丘陵北端にあり、前方後方墳5基、方墳1基が集まって古墳群形成している。東端薬師堂古墳全長68メートル後方部1辺35メートル、高さ6.4メートル前方部最大幅21メートル、高さ約3.6メートル前方部東南向けている。次いで、ほぼ中央にある宮山古墳全長70メートル後方部1辺35メートル、高さ5.5メートル前方部最大幅25メートル、高さ3.5メートル前方部東南方向向けている。西部には東から観音塚古墳山居古墳山居古墳がある。観音塚古墳全長63メートル後方部1辺30メートル、高さ6メートル前方部最大幅23メートル、高さ5メートルあり、前方部東南向けている。山居古墳観音塚古墳とほぼ並列しており、全長60メートル後方部1辺30メートル、高さ5.3メートル前方部最大幅30メートル、高さ3.5メートルある。山居古墳全長42メートル後方部1辺20メートル、高さ3メートル前方部最大幅12メートル、高さ1.3メートルほどであり、前方部東南方向向けている。なお、観音塚古墳北方には観音塚北古墳がある。1辺の長さ16メートル、高さ2.5メートル程の方墳である。これらの古墳では従前から出土品埴輪葺石等は知られていない
 本古墳群は、前方後方墳方墳形成されるといった特色があり、前方部発達状況からみて、年代的推移があろうが、おおよそ古墳時代中期形成されたものと考えられる
 本古墳群は、単に名取丘陵上に築成され数々古墳の性格意義考え上で重要なだけでなく、全国的にみても前方後方墳方墳構成される特色ある古墳群であり、古墳時代研究上欠くことのできないのである

飯野坂古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/12/04 12:51 UTC 版)

飯野坂古墳群(いいのざかこふんぐん)は、宮城県名取市飯野坂山居に所在する大型前方後方墳が群集する特異な古墳群である。

1978年昭和53年)3月16日、国の史跡に指定される[1]

概要

本古墳群は、標高30m愛島丘陵の北東部縁辺の名取市飯野坂5丁目から名取が丘1丁目にかけて立地している。開発ブームがこの地にも押し寄せてきて、名取ニュータウン造成計画が持ち上がった。これに対処するために名取市教育委員会により、1975年昭和50年)、1976年昭和51年)に古墳群を含む地域一帯の地形測量が行われ、本古墳群が前方後方墳と方墳を含む全国的にもあまり例のない特異な構成であることが判明した。その後、史跡に指定されることになった。

築造年代については、方墳の山囲古墳が後期古墳に属し、薬師堂古墳などの前方後方墳は、築造順があるものの4世紀末から5世紀にわたると考えられている。

なお、当丘陵の南東部には東北地方最大の前方後円墳である雷神山古墳地図)が、円墳の小塚古墳(地図)と並んである。

規模・形状・構成

現在の史跡指定区域内には、5基の前方後方墳と2基の方墳がある[2]。史跡指定区域の南側には、かつて山囲古墳と唐戸塚古墳があった[2]

史跡区域内

当地の古墳は、東に向かって仙台平野(名取平野)に突き出した愛島丘陵の北東端に並んでおり、5つの前方後方墳は総て後方部を北西、前方部を南東としている[2]

まず、以下の4基の前方後方墳が北西から南東にかけてほぼ一直線状に並んでいる[2]

  • 山居北古墳(前方後方墳:全長40m、地図
  • 山居古墳(前方後方墳:全長60m、地図
  • 宮山古墳(前方後方墳:全長60m、地図
  • 薬師堂古墳(前方後方墳:全長65m、地図

山居古墳の東側に、以下の3基の古墳が並んである[2]

  • 観音塚北2号墳(方墳:一辺 14.2m、地図
  • 観音塚北1号墳(方墳:一辺14.4m、地図
  • 観音塚古墳(前方後方墳:全長65m、地図

史跡区域外

当史跡には指定されていないが、宮山古墳の南側に隣接して唐戸塚古墳(からとづか)、および、薬師堂古墳の南側に山囲古墳(やまがこい)[3]があった[2]

  • 唐戸塚古墳跡(地図
  • 山囲古墳跡(地図

副葬品・埋葬施設

1949年(昭和24年)、山囲古墳が発掘調査され、主体部は横穴式石室で、頭椎大刀(かぶつちたち)が出土している。薬師堂古墳の西くびれ部から壺形埴輪が出土している。

脚注

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  1. ^ 飯野坂古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ a b c d e f 飯野坂古墳群の位置図 (PDF) (名取市)
  3. ^ 進藤 35ページ。薬師堂西山副古墳とも呼ばれる。

参考文献

  • 進藤秋輝 「飯野坂古墳群」『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』 文化庁文化財保護部史跡研究会監修、同朋舎出版、1991年ISBN 978-4-8104-0925-3

関連項目

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