鏡花水月
別表記:镜花水月
鏡花水月とは、鏡花水月の意味
鏡花水月は、「目には見えるが触れることのできないもの」「夢幻のようであり儚い美しさや趣深い美しさが感じられるさま」あるいは「具体的な形では捉えられず感覚的に把握・感知することしかできないもの」を指す表現。「実体のない(が美しい)もの」を、鏡花(=鏡に映った花)と水月(=水面に映った月)にたとえた表現。鏡花水月は、「美しいが実体のない虚しいもの」を指す意味で、文芸・文学作品に特有の芸術性を表現する言葉としても用いられる。また、漢文には直接的な表現を用いず読者の想像力を掻き立てる「鏡花水月法」という手法がある。
なお中国語では「鏡花水月」ともいうが「水月鏡花」とも表現される。
鏡花水月の語の由来・語源
鏡花水月という言葉の語源・由来・出典と目される書物はいくつか挙げられる。たとえば中国の清代に袁枚が著した「子不語」には「鏡花水月、都是幻聚、何能久處?」というくだりがある。明代の謝榛は「詩有可解、不可解、不必解、若水月鏡花、勿泥其跡可也」と述べている。唐の裴休は「崢嶸棟樑、一旦而摧、水月鏡像、無心去來」という一文を残している。鏡花水月の語の使い方(用法)、例文
「鏡花水月」の使い方としては、「鏡花水月のように心で感じるのみ」「鏡花水月の趣きがある」といった言い方が挙げられる。なお「一体いつから──鏡花水月を使っていないと錯覚していた?」はマンガ作品に登場するセリフであり、この「鏡花水月」は武器(刀)およびその技・能力の名称である。
鏡花水月の類語と使い分け方
鏡花水月の同義語として「水月鏡花」ならびに「水月鏡像」が挙げられる。類義語・類似表現としては、「儚いもののたとえ」という意味で「夢幻泡影」などが挙げられるが、夢幻泡影は仏教において「人生のはかなさ」を述べた語であり、詩的・感覚的な美を指す「鏡花水月」とは使い所が異なる。実体を伴わないもの、を指す語としては「幻覚」「蜃気楼」「虚像」なども挙げられるが、これらの語には「趣」や「美」の意味合いが特に含まれない。
鏡花水月の英語
「鏡花水月」に対応する英語表現は見出しがたく、英語で表現する場合は説明的な叙述になる。字面どおりの意味を取るなら「flowers reflected on a mirror and the moon reflected on the water's surface(鏡に映った花と水面に映った月)」のような言い方になる。言葉の意味を汲むならば「something that is visible but having no substance(見えるが実体を持たないもの)」のような言い方になる。単に「はかない幻」くらいの意味なら「phantom(幻影)」などの語で表現できる。鏡花水月
きょうか‐すいげつ〔キヤウクワ‐〕【鏡花水月】
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