かつぬましやかたあととは? わかりやすく解説

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勝沼氏館跡

名称: 勝沼氏館跡
ふりがな かつぬましやかたあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 山梨県
市区町村 甲州市
管理団体
指定年月日 1981.05.28(昭和56.05.28)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-6-036勝沼氏館跡.txt: 勝沼氏は武田信玄の弟信友その子信元家系である。その行動は『妙法寺記』『甲陽軍鑑』また石橋八幡岩殿七社権現棟札等により知られる勝沼氏は御親類衆として武田軍団の一翼担っていたが永禄3年(1560)信玄により滅ぼされた。
 館は日川断崖利用して築かれているが、対岸東西往時往還慶長以前甲州街道)が、また館のすぐ西を南北鎌倉脇往還通過当時交通の要衝であり、武蔵相模方面への警固連絡役割担っていた。
 館主体部は『甲斐国志』や『甲斐国古城跡志』によって御所の地に相当すること、二重の堀や太鼓櫓呼ばれる高台のあることが早くから知られていた。また昭和45年には、古銭250出土している。昭和48年県立ワインセンターの建設問題きっかけとなり5か年にわたり山梨県教育委員会による発掘調査が行われた。その結果建物跡門跡水溜、溝、土塁小鍛冶遺構等検出されたほか多く遺物出土した遺跡層序や溝、建物跡重複関係によって3期にわたることが確認されている。内郭拡張の際土塁内側削っているが、それに対応して外側土塁設けたことが、外側土塁下の生活面によって確認されてもいる。内郭構造の変遷のみならず、それが館の拡大連関して把握することができる貴重な遺跡である。
 なお、御所北西には御蔵屋敷奥屋敷加賀屋敷、御厩屋敷工匠屋敷長遠寺信友 法名長遠寺殿)等の地名泉勝院信友夫人開基)があり、広大な領域遺構広がっている可能性もある。
 今回発掘調査によって城館構造その変遷を知る上で重要な遺構残存していることが明らかになった内郭御所中心に、東に隣接する水上屋敷及び鬼門鎮護相当する尾崎名神指定し保存を図るものである



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