太安萬侶墓とは? わかりやすく解説

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太安萬侶墓

名称: 太安萬侶墓
ふりがな おおのやすまろのはか
種別 史跡
種別2:
都道府県 奈良県
市区町村 奈良市此瀬町
管理団体
指定年月日 1980.02.19(昭和55.02.19)
指定基準 史7
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-12-034[[太安萬侶墓]おおのやすまろぼ].txt: 太安萬侶墓は、奈良盆地東方連なる大和高原北西端近く位置する此瀬町にあって東西にのびる丘陵の南斜面築造されている。この周辺には、光仁天皇陵をはじめとする奈良時代中心をおくと思われる墳墓多くみられ、太安萬侶墓もまたその一つである。昭和54年1月22日茶畑改植中に銅板墓誌発見され広く世間注目するところとなり、これに引続き墳墓発掘調査が行われた。
 墳墓は、約30度の急斜面の中の小さ尾根頂部利用して築かれている。封土開墾の際にすべて削られていたが、墳墓尾根を限る部分墳丘を囲むように弧状呈した溝の一部遺存しており、これから墳丘復原すれば内径4.5メートルとなる。墓壙は墳丘のほぼ中央位置し東西1.9メートル南北1.8メートル測るやや変形した土壙で、ほぼ垂直に掘り込まれている。墓壙の中央北寄りに、木炭被覆された木長軸南北方向にとって埋葬されており、腐朽甚だしく形状・規模ともに定かでないが、木炭層内に残る空洞部分から木大きさ推定すると、縦66センチ、横36センチ、高さ38センチほどと思われる
 墓誌は木の下に、文字面の上端部を北に向け、裏向き置かれたらしい。縦29.1センチ、横6.1センチ厚さ0.1センチ銅板製で、一面にのみ文字がある。銘文は2行に書かれており、4周と中央界線があって、
 左京四條四坊從四位勲五等朝臣侶以癸亥七月六日卒之 養老七年十二月十五乙巳
41文字刻まれている。
 木の中からは、火葬人骨・灰と共に真珠4顆、鉄片2、漆喰片2が検出されている。
 この墳墓『古事記』編者として著名な太安萬侶の墓であることは、墓誌内容からみて明白な事実である。しかも墳丘規模・構造遺物の出土状況学術的に明らかにされた奈良時代上級官人きわめて稀な火葬墓として重要な価値有するものであり、墓域をも含めた丘陵の南斜面一帯指定し保存を図るものである
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