『灰と土』とは? わかりやすく解説

『灰と土』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 15:31 UTC 版)

アティーク・ラヒーミー」の記事における「『灰と土』」の解説

1996年ターリバーン政権掌握した第一子生まれた年でもあり、いつか娘に故国のことを語ることになるだろうと思いまた、彼なりに「故国和解したい」と思いアフガニスタン舞台にした『灰と土』の執筆取りかかった。名誉、復讐などのアフガン社会イスラム社会)の伝統的な価値と、「家族でも、部族でも、宗教でもなく」、「アフガン社会存在しない個人」という概念対立描いたこの作品は、アフガニスタン公用語一つであるダリー語書かれ2000年フランス語訳出版された。ラヒーミーはこれを機にフレデリック・ベグベデフランス語版)の文芸評論番組「本と私」で初めテレビ出演するなど、メディアで取り上げられるようになり、次いで『灰と土』の映画化取りかかった映画の撮影のためにアフガニスタン戻ったのは、出国から18年後の2002年1月ターリバーン政権崩壊直後のことであった同地では、撮影だけでなく、若手脚本家指導あたったまた、ベルナール=アンリ・レヴィとともに若手作家支援のための作家会館設立した。この延長として、現在では、フランス・キュルチュールとの連携により、アフガニスタン出版社支援提供している。映画『灰と土』の製作はイランの映画会社担当した上映断念したため、ベルナール=アンリ・レヴィがこの企画引き継ぎ彼の父アンドレ・レヴィが創設した映画会社明日映画」社が配給会社となった。この作品は、2004年第57回カンヌ国際映画祭ある視点部門上映された。なお、題名の「灰と土」は、老人ダスタギールが噛みタバコ代わりに焦土化したアフガニスタンの土を、死者たちの灰とともに口に含む最後の場面から取られたものである

※この「『灰と土』」の解説は、「アティーク・ラヒーミー」の解説の一部です。
「『灰と土』」を含む「アティーク・ラヒーミー」の記事については、「アティーク・ラヒーミー」の概要を参照ください。

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