『偽ベロッソス書』
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「伝承上におけるブリタニア王の一覧」の記事における「『偽ベロッソス書』」の解説
15世紀後半、カトリック教会の聖職者で古代史学者であったヴィテルボのアンニウスは、古代メソポタミアのカルデアで多くの記録を残した歴史家ベロッソスのノアについての史書を発見した。それに拠れば大洪水の後、ノアの子ヤペテの末裔が「ケルティカ」と呼ばれた土地に移住したとされ、1498年に『古代雑篇』(Antiquitatum)と題する書物として発表された。ケルティカを治めたヤペテの末裔達は、別の歴史家ラファエル・ホリンシッドによってブルトゥス王の登場に置かれる形で列記された。 初代王サモテス(Samothes)或いはディス・パテル(Dis Pater、ローマ神話の死神):人類の祖たるノアの孫(ノアの息子ヤペテの子) 二代王マグヌス(Magus):サモテスの子 三代王サロン(Saron):マグヌスの子 四代王ドルイス(Druis):サロンの子、ドルイドの祖 五代王バルドゥス(Bardus):ドルイスの子、バードの祖 六代王アルビオン(Albion):ネプトゥヌス(ローマ神話の水神)の子。巨人族として王位を奪うがユピテル(ローマ神話の主神)の子(ヘラクレス)に倒される。 七代王ブルータス:アイネイアースの末裔。破壊されたケルティカに流れ着き、自らの名を与えてブリタニアとする。 当初、このノア伝説とブリタニア神話の結びつきは広く支持され、ブリタニア神話の前編としてノアの孫サモテスとその一族の伝承を付け加えた。しかし後に『古代雑篇』に記録されたベロッソスの物とされていた史書が実はヴィテルボのアンニウスによって捏造された偽書である事が判明し、この史書は「偽ベロッソス」(Pseudo-Berossus)と蔑称されるようになった。 しかし直ちに偽書に描かれた七人の王については神話から取り除かれる動きにはならなかった。理由は七人の王の伝説がある程度は他の記録においても登場している事(六代王アルビオン、七代王ブルータス)、聖書の特に旧約聖書の部分に位置する伝承と結びついた王(初代王サモテス)が宗教的価値観と合致したからである。1548年の歴史家ジョン・ベールによる『Illustrium majoris Britanniae scriptorum』から、1611年の文学者アンソニー・ムンデイの『A briefe chronicle』に至るまで100年以上に亘り引用され続けてきた。だが17世紀頃には流石に信憑性の薄さが認識され、もはや古代史を研究する者の間でも用いられなくなった。ジョン・スピード(英語版)、ウィリアム・キャムデン、ウォルター・ローリーらは早い段階で「偽ベロッソス」の記録を古代史研究から除外した事で知られている。
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