『ターシャム・オルガヌム』と「第四次元」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 00:10 UTC 版)
「ピョートル・ウスペンスキー」の記事における「『ターシャム・オルガヌム』と「第四次元」」の解説
P・D・ウスペンスキーに名声をもたらした『ターシャム・オルガヌム』だが、そこに収められた論述は、論理性を欠き、これを思想と呼べるのかどうか疑問である。 「第四次元」をめぐっては、時間も空間も人間の認識の形式がこしらえたもので客観的な実在性はないのだというイマヌエル・カントの観念論、どうして三次元の空間認識で満足するのか、隠された第四の次元を認識できるようになろうということで著書と合わせてヒントン・キューブなる訓練用玩具を売り出したチャールズ・ヒントンの主張、それに時間を第四の次元とする現在ではごくふつうの四次元の捉え方という三つの見方を、相互間の不整合を省みることなく次々に論じている。「生涯」の項目に収めた引用でジェイムス・ウェブが『ターシャム』を褒め称えながらも、これは学問とか数学とか呼べるものではないと断っているのは、具体的には、論理・哲学面でのこうしたまとまりのなさについて言っている。 英訳版の読者は、出版社による著者の経歴の虚偽の表示のため、偉い数学者がこれを書いたと思い込み、理解できないのは書いてあることの高度さゆえと信じたのではないかと疑われる。これが大ヒットしたことは、P・D・ウスペンスキーの自己認識にも影響したはずである。かつて彼の分身であるイワン・オソキンは、自分の最大の欠点を、およそ考えるということができず、空想のほうにばかりに頭が動いてしまうことだと思っていた。それが『ターシャム』のヒットを機にして、知の巨人と見なされるようになっていく。 その後、P・D・ウスペンスキーは、ハシーシと思われる麻薬を使った「実験的神秘主義」を追求し、神秘的なヴィジョンを追い求めるが、実験を重ねるなか、「これは邪道である」と告げる声をしきりに脳裏で聞いていたという。 「あたかも、常にだれかが私を見ていて、何度も私を説得し、当時の私にはほとんどわからなかったなんらかの道理から、私はこんな道を進んではいけない、これは邪道なのだということを告げ、こうした実験をするのをやめさせようとしていたかのようだった」 P・D・ウスペンスキーは1914年に長いインド旅行をし、そこに取材したエピソードを含めて『悪魔とのおしゃべり』という小説を執筆している。エローラの岩窟で一匹の悪魔と悪魔の仕事につちえおしゃべりする話で、一方では精神的なことに関心がありながら、人生の物質的な側面に強いこだわりをもつ自分自身の二元的な性格に関する理解がうかがえるほか、銃マニアおよび写真マニアとしてのP・D・ウスペンスキーの一面を垣間見ることができる。P・D・ウスペンスキーがインドで撮影した多数の写真は、マダム・ウスペンキーから、彼女のもとでムーヴメンツを教えたジェスミン・ハワースの手に渡った後、ニューヨーク市立図書館に写しが寄贈されている。
※この「『ターシャム・オルガヌム』と「第四次元」」の解説は、「ピョートル・ウスペンスキー」の解説の一部です。
「『ターシャム・オルガヌム』と「第四次元」」を含む「ピョートル・ウスペンスキー」の記事については、「ピョートル・ウスペンスキー」の概要を参照ください。
- 『ターシャムオルガヌム』と「第四次元」のページへのリンク