『「南京事件」の探究』とは? わかりやすく解説

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『「南京事件」の探究』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 22:35 UTC 版)

北村稔」の記事における「『「南京事件」の探究』」の解説

本書では、南京軍事法廷および極東国際軍事裁判において南京事件確定した戦犯裁判」の判決書歴史学の手法で検証するという立場分析従前から知られていた2弱の中国軍捕虜殺害新たに発掘してきた資料確認する一方で判決書見える、南京攻略戦から占領初期にかけて一般市民対す数十単位の「大虐殺が行われたという「認識」については、中国連合国による各種戦時宣伝分析通じ1937年以降徐々に形成されていったものとした。 南京および中国各地において日本軍暴虐行っていると告発した在中国ジャーナリストハロルド・J・ティンパーリは、日中戦争開始直後から中国国民党中央宣伝部対外宣伝従事資金提供受けて編著戦争とは何か』(What War Means) を出版した主張している。また、南京大虐殺があった」という認識どのような経緯出現したかという、歴史研究基本に立ち戻った立場から、研究始めている。 北村は、中国社会科学院近代史研究所翻訳室編『近代外国人名辞典』(1981年)に、ティンパーリが「1937年盧溝橋事件後、中国国民党により欧米派遣され宣伝工作従事続いて国民党中央宣伝部顧問就任した」と記述されていることや、王凌霄による研究中国国民党新聞政策研究』(1996 年)および国際宣伝処処長曽虚白回想記に「ティンパーリーとスマイスに宣伝刊行物の二冊の本を書いてもらった」と記されていることから、国際宣伝処が関与していた可能性示唆している。 『「南京事件」の探究』 をはじめとする研究経た2007年4月2日外国特派員協会での講演では「旧日本軍南京で"無秩序"や"混乱"に陥って便衣兵捕虜殺害したことはあったが、一般市民対象とした"虐殺" (massacre) はなかったとの結論達する」と発表している。

※この「『「南京事件」の探究』」の解説は、「北村稔」の解説の一部です。
「『「南京事件」の探究』」を含む「北村稔」の記事については、「北村稔」の概要を参照ください。

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