「陸士」・「予士」・「航士」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:24 UTC 版)
「陸軍士官学校 (日本)」の記事における「「陸士」・「予士」・「航士」」の解説
詳細は「陸軍予科士官学校」および「陸軍航空士官学校」を参照 帝国陸軍の黎明期からその解体まで組織には幾度の変容があるが、教育段階は旧制学校と同様に本科と予科の二層立てであり、教育内容も明確に異なる(#教育課程)。1937年(昭和12年)には人員増加等を理由に、予科は「陸軍予科士官学校」と分離独立した学校となった。同時期、現役航空兵科将校(陸軍航空部隊向けの航空要員たる現役兵科将校)の教育に特化させた本科として、「陸軍航空士官学校(当初は「陸軍士官学校分校」)も分離独立している。これらはそれぞれ「陸士」・「予士」・「航士」などと略称された(#歴史)。「陸軍予科士官学校」の独立後は本科たる「陸軍士官学校」のみを指して陸士と称されることもあるが、あくまで予士および航士も「陸軍士官学校」である。 陸士と関係する学校としては以下のものが存在する。 陸軍幼年学校(陸幼)は幾度の変容があるが、陸士が予科・本科制度となった1920年代以降は将校候補者すなわち将来は陸士の予科に入校し生徒となる者を、若年時から「純粋培養」する旧制中学校相当の養成機関である。陸幼生徒は陸士の予科生徒と合わせて「将校生徒」と呼称された。陸士の予科の生徒は大別してこの陸幼出身者と一般の中学出身者からなる。 詳細は「陸軍幼年学校」を参照 陸軍大学校(陸大)は主に参謀を養成する高等教育機関であり、選抜された陸士卒(己種・丁種学生を含む)の中尉・少尉が入校する。 詳細は「陸軍大学校」を参照 陸軍経理学校は主に経理部の主計将校(各部将校)を養成する教育機関であり、現役主計将校を養成する陸経の課程は現役兵科将校を養成する陸士と同格の存在であった。1935年に陸士に準ずる予科・本科制に改正し「経理部士官候補生」の制度を導入、陸士の兵科士官候補生(陸士生徒)と同様の待遇を施している。陸士より要求身体能力(主に視力)が緩く、現役主計将校の召募人数は少なかったこともあり入校倍率は極めて高倍率であった。なお、陸経ではほかに甲種幹部候補生出身の予備役主計将校の養成も行っているが、これは経理部士官候補生の制度とは全く異なる。 詳細は「陸軍経理学校」を参照 満州国陸軍軍官学校(満州帝国陸軍軍官学校)は満州国軍(満州帝国軍)の軍官学校(士官学校)であり、一定数の日本人日系生徒が予士から進学しているほか、満州人・朝鮮人・蒙古人からなる現地の満系生徒の優秀者は陸士に留学した。 詳細は「満州国陸軍軍官学校」を参照 1938年(昭和13年)以降、甲種幹部候補生出身者を生徒とし、予備役兵科将校を養成する教育機関として陸軍予備士官学校(予備士)が複数校設置されている。「予備役」兵科将校を養成する陸軍予備士官学校は、「現役」兵科将校を養成する陸軍士官学校(および士官候補生を養成する陸軍予科士官学校)とは全く異なる別種の士官学校である。 詳細は「陸軍予備士官学校 (日本)」を参照
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