「真の発見者」論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 02:08 UTC 版)
「アメリカ大陸の発見」の記事における「「真の発見者」論争」の解説
一方、アメリカ大陸の発見者としてその名を讃えられている人物は、必ずしもコロンブスだけではない。 コロンブスは自身が上陸したのはインドだと誤認しており、新大陸を発見したとは認識していなかった。これに対し、アメリカ大陸が新大陸であるという事実を発見したのはイタリアの地理学者・天文学者アメリゴ・ヴェスプッチである。1497年から1502年まで3度にわたってスペイン・ポルトガルの船に同乗して大西洋を横断したヴェスプッチは、1503年頃、調査の結果をまとめた『新世界』を刊行。この中で、大西洋を横断した先にあるのはアジアではなく、全く異なる新大陸であることを指摘した。これにより、当時の先進国にとってアメリカ大陸の存在は既知の事実となり、アメリカ大陸発見の歴史は幕を閉じた。 通常、「発見」とは未知の事実に気付くことを言うが、未知の大陸であると気付くことなく辿り着いたコロンブスを発見者と呼ぶべきかどうかは、結局のところ「発見」の定義によることになろう。地理学者のマルティン・ヴァルトゼーミュラーは、ヴェスプッチこそが新大陸の発見者であると考え、ヴェスプッチの名前「アメリゴ」から取ってこの大陸を「アメリカ」と命名した。ヴァルトゼーミュラーの地図はヨーロッパ中に普及し、アメリカという名称が定着した。一方、コロンブスの航海日誌の要約を出版したバルトロメ・デ・ラス・カサスは、新大陸の発見者はコロンブスであるから、アメリカ大陸と呼ぶのは不適切であると指摘し、この大陸の名称をインディアス大陸(コロンブスが大陸をインドと誤解したことに基づく)としている。 また、(ヨーロッパ世界の人々の中で)最初にアメリカ大陸の本土に上陸したのが誰であるのかもしばしば論争となる。最初に本土へ上陸した人物としてよく名前が挙げられるのは、コロンブス、ヴェスプッチのほか、ジョン・カボットである。 1492年10月12日、コロンブスはサン・サルバドル島などカリブ海の島々に上陸したが、大陸本土の存在には気付かず、当然本土への上陸もしなかった。 1497年6月24日、カボットがカナダ北東部のどこかの土地に上陸した。カボットの上陸地点は不明である。大陸本土のラブラドル半島であるとする説もあるが、本土ではなくニューファンドランド島であるとする説が有力である。 1497年7月頃、ヴェスプッチは最初の航海をし、大陸本土のコスタリカに到達したと伝わる。しかし、一部の学者からはヴェスプッチの最初の航海は史実ではない可能性が指摘されている。 1498年8月、コロンブスは3回目の航海で南アメリカ大陸本土ベネズエラオリノコ川の河口の三角州を探検した。河口の三角州が大陸本土と言えるかどうかは意見が分かれるところだが、これをもって本土上陸とすることがある。 1499年、ヴェスプッチは2回目の航海で大陸本土のガイアナに到達した。最初の航海とは違い、この航海は史実であることが確認されている。 1502年8月14日、コロンブスは4度目の航海でホンジュラスのプエルトカスティージャに到着し、大陸本土に上陸した。 以上のように、史実が明らかになっていない点があるため、誰が最初に本土に到達したのかは不明である。
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