「旭竜神」として角界挑戦・挫折
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「大牟田4人殺害事件」の記事における「「旭竜神」として角界挑戦・挫折」の解説
K3は大柄な体格で、小学校卒業時の卒業文集に「好きな言葉は白星。好きな有名人は旭道山。将来の夢は相撲取り」と書いていたほか、中学校の卒業式には和服姿で出席して髷を結うために髪を伸ばしていた。また中学時代は周囲に喧嘩が強いことを吹聴して回っていたほか、友人たちに「相撲部屋からスカウトされたから相撲取りになる」と自慢していた。 K3は中学卒業後の1996年3月日本相撲協会の大相撲新弟子検査に合格し、憧れていた旭道山がいた大島部屋に入門した。入門時の四股名は当時の姓と同じ「石橋」(いしばし)で身長180cm・体重115kgだった。その後1996年5月には「旭竜神」(きょくりゅうじん)に改名し、同年5月場所(夏場所)で東序ノ口26枚目「旭竜神」として初土俵を踏んだ。この時、母K2が大牟田市に隣接する熊本県荒尾市内で開いた壮行パーティーでK3は「関取を目指します」と挨拶していたほか「出世したら、化粧まわしをしてやる」と励まされた、K2も当時は「父親がヤクザだからしつけが不十分だった。これからは部屋の親方・女将さんが厳しくしつけてくれる」と満足げな様子だった。 しかし「旭竜神」が土俵を踏んだのはこの夏場所限りで、通算2勝5敗の成績に終わった。その後、同年7月場所(名古屋場所)を全休して夜逃げ同然に部屋を出たが、K3の現役当時の大島部屋親方は『毎日新聞』の取材に対し「(K3の引退は)『稽古場が燃えれば稽古をしなくて済む』という理由で稽古場のカーテンに放火したことが原因だ。この時は天井に火が燃え移る前に兄弟子たちが気付いて消し止めた」と証言したほか、同部屋の女将も「残された衣類を洗って自宅に送ったのにお礼もなかった。掃除もちゃんこ鍋の用意も何もできなかった」と証言した。 引退・帰郷したK3は周囲に「兄弟子たちからいじめを受け耐えられなくなったのでやめた」と話し、母K2が経営していた建設会社を手伝う一方で暴走族のリーダーとして弟K4とともに暴力沙汰を度々起こし、地元の若者たちから恐れられていた。引退後の2000年には後述のように傷害致死事件を起こして実刑判決を受けたため2004年春まで刑務所へ服役しており、出所の際には父K1が近隣住民に対し「息子が戻ってきて家の人間が増えた」と話していた。K3は出所後の2004年6月ごろから実家を離れて大牟田市内のアパートで生活していた、組事務所にも出入りしていたほか、事件直前は腰痛のため弟K4とともに大牟田市内の病院へ通院していたが、看護師らに対し「自分は組員だからいずれ刺青を入れる」などと話していた。
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