「大洋、柏戸、水割り」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 09:18 UTC 版)
大鵬と柏戸の全盛期では、当時の子供が好きだった「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が有名である。子供以外に若い女性にも人気だった大鵬だが、柏戸は男性ファンからの人気が高かったことから「大洋・柏戸・水割り」という言葉が存在していた。彼自身はエビの天ぷらが大好物で、一度に130匹食べたこともあった。 大人ウケした理由として、立合いから左前褌右おっつけで一気に突進するという取り口で、土俵際でも慎重に腰を落とすという定石も無視して一気に長身を利用し覆い被さるように相手を押し倒す豪快なものだった。相手が横に動くとあっさり負けることもあったが、その破壊力は誰からも恐れられていた。若乃花幹士でさえも横に動いて突進を回避しての投げで決めたことがあったというからその凄さが判る。その若乃花も、柏戸に初めて敗れたことで引退を本格的に考え始めたとされている。豊山は稽古場で柏戸の突進を受け続けているうちに反り腰になって投げる癖がついたと伝わり、これも柏戸の破壊力を示す逸話となっている。 また四つ相撲が全く駄目というわけではなく、得意は速攻だったが組んで動きが止まってもそれなりの力は発揮した。入幕したばかりの頃は右差しの強さにも注目があった。若き日は「角界のサラブレッド」とも呼ばれていたが、体が硬く性格も無器用なことから伊勢ノ海は徹底して速攻を仕込んだといわれ、本人も「マゲを切るまで突っ走る」思いで速攻にこだわった。ただしその取り口ゆえかポカが多く強い時には誰にも止められなかったが、弱い時には思わぬ相手に負けることもあり好不調の波が激しかった。こうした取り口は60年安保闘争が終焉して高度経済成長を迎えた当時の日本の大らかさを象徴するものであるという見方もあり、後年NHK解説委員会でもこの点について話題が挙がっている。 金星配給35個は千代の山の34個を更新する当時の最多記録だった(現在歴代4位)が、これは年6場所制定着後の横綱昇進で、横綱在位場所数が千代の山の32場所に対して47場所と長かったためでもある。逆に、彼より長い横綱在位で彼より金星の少なかったのは、大鵬と千代の富士、白鵬(現役)がいるだけとなる。 しかし横綱時代初期の座談会では秀ノ山を始めとして「突っ張り一本で生きるべきだ」という意見が大勢を占めるほど突っ張りが強烈であることで知られていた。これに対してNHKアナウンサーの北出清五郎から「柏戸は太刀山みたいにならなければいけないのか」と注文を付けられ、秀ノ山は初めに「突っ張りきれない際は前褌を取るべきだ」と切り返したがいつの間にか「大鵬の方が体重で柏戸を上回るとしたら、対抗するには前褌を取って相手の左をおっつけていくしかない」と思わず当初の意見を上回る理想の型を口にしていた。結果として柏戸はその理想の型を体得した。
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