「大王子製紙」発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:15 UTC 版)
「王子製紙 (初代)」の記事における「「大王子製紙」発足」の解説
1933年(昭和8年)5月18日、王子製紙と富士製紙・樺太工業の3社が合併した(手続上は王子製紙が富士製紙・樺太工業を吸収合併)。合併により、王子製紙の紙生産量は国内生産量の8割以上を占め、これ以降その規模から「大王子製紙」と称される。工場は富士製紙の14か所と樺太工業の6か所をあわせて、33か所に増大した。 富士製紙は前述の通り後発ながら王子製紙と競合した大手製紙会社である。合併前年の1932年(昭和7年)時点で、生産高ベースで約36%のシェアを持ち、シェア約30%の王子製紙を抜いて国内首位の製紙会社であった。一方の樺太工業は1913年(大正2年)設立で、当初樺太を拠点としていたが1926年に内地の企業も合併していた。1932年時点でのシェアは約20%。両社の共通点は、かつて王子製紙の技術者であった大川平三郎が社長を務めていたことである。 王子製紙・富士製紙・樺太工業の3社は、従来から競合しつつもしばしばカルテルを結んで協調行動をとっていた。1920年代末になると市況の悪化で、特に富士製紙・樺太工業の業績が悪化する。1929年(昭和4年)に王子製紙は富士製紙の株式を買収して筆頭株主となり、富士製紙の業績建て直しを支援するようになる。また、1930年頃から樺太工業側から王子製紙へ合同を打診していた。市況と各社の状況から、これ以上の消耗を回避し、なおかつ従来以上の市況統制として3社の合同が構想され、巨大トラストである「大王子製紙」発足へと至ったのである。
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