「ローマ史」
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カッシウス・ディオは22年の歳月にわたる時間を費やして80巻からなる『ローマ史』を書き残した。同著はアエネアスのイタリア上陸から始まり、アレクサンデル・セウェルス帝の時代までの1400年間(ブーディカの乱を記録したローマ時代の数少ない資料でもある)を含んでいる。ただし、紀元前1世紀までの共和制史については重要な出来事にのみ内容を絞っており、本格的な記述が始まるのはそれ以降の帝政時代からである。特に同時代史である帝政中期については非常に詳細な記録を残している。皇帝達と直に接することができる立場に居たという点で、同時代史という点からも非常に貴重な資料である。 今日に残る『ローマ史』は全80巻のうち最初の36巻は散逸してしまっており、断片が残るのみである。その中でもミトリダテス6世との戦いを描いた第35巻と、グナエウス・ポンペイウスの海賊討伐を描いた第36巻はかなりの部分が現存している。ポンペイウスの台頭と第三次ミトリダテス戦争、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの死までを扱った37巻~54巻までは殆ど完全に残っている。続く第55巻はかなりの部分が散逸しているが、トイトブルク森の戦いからクラウディウス帝の死(54年)までを扱った56巻~60巻は現存している(セイヤヌス粛清を記録した数少ない現存する資料。でもある)。そして以後のアレクサンデル・セウェルス帝即位までの61巻~80巻は、11世紀の修道士ヨハネス・クシフィリヌスが残した要約しか残っていない。クシフィリヌスは35巻から80巻までの要約を東ローマ皇帝ミカエル7世ドゥーカスの命を受けて編纂したが、原著よりかなり劣る内容である。 要約すら残っていない最初の36巻については様々な方法で断片の収集や捜索が行われ、主に4つの文献にまとめられている。 Fragmenta Valesiana様々な書物での引用部分を集めたもの。近世の歴史家ヘンリ・ヴァロアによって執筆される。 Fragmenta Peiresciana東ローマ皇帝コンスタンティノス7世によって収集された断片の総称。一冊の本として時系列順に纏められている。 Fragmenta Ursiniana宮殿から失われていたFragmenta Peirescianaの一部。シチリア島でフルヴィオ・オルシーニによって発見された。 Excerpta Vaticanaカトリック教会によって発見された断片。61巻から80巻の部分も含められている。 カッシウス・ディオはトゥキディデスを手本にして『ローマ史』の執筆にあたったが、脚色や論法の正確さ、及び視点の堅実さという点からは不十分な結果といえる。また彼のギリシャ語は概ね正確だが、ラテン語の用語が頻出している。
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