「ローマ史」とは? わかりやすく解説

「ローマ史」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:55 UTC 版)

カッシウス・ディオ」の記事における「「ローマ史」」の解説

カッシウス・ディオ22年歳月にわたる時間費やして80からなるローマ史』を書き残した。同著はアエネアスイタリア上陸から始まりアレクサンデル・セウェルス帝の時代までの1400年間(ブーディカの乱を記録したローマ時代数少ない資料でもある)を含んでいる。ただし、紀元前1世紀までの共和制史については重要な出来事にのみ内容絞っており、本格的な記述が始まるのはそれ以降帝政時代からである。特に同時代史である帝政中期については非常に詳細な記録残している。皇帝達と直に接することができる立場居たという点で、同時代史という点からも非常に貴重な資料である。 今日に残る『ローマ史』は全80巻のうち最初36巻は散逸してしまっており、断片が残るのみである。その中でミトリダテス6世との戦い描いた35巻と、グナエウス・ポンペイウス海賊討伐描いた36巻はかなりの部分現存している。ポンペイウス台頭第三次ミトリダテス戦争マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの死までを扱った37巻54巻までは殆ど完全に残っている。続く第55巻はかなりの部分散逸しているが、トイトブルク森の戦いからクラウディウス帝の死(54年)までを扱った56巻60巻は現存している(セイヤヌス粛清記録した数少ない現存する資料。でもある)。そして以後アレクサンデル・セウェルス即位まで61巻~80巻は、11世紀修道士ヨハネス・クシフィリヌス残した要約し残っていない。クシフィリヌスは35巻から80巻までの要約東ローマ皇帝ミカエル7世ドゥーカスの命を受けて編纂したが、原著よりかなり劣る内容である。 要約すら残っていない最初36巻については様々な方法断片収集捜索が行われ、主に4つ文献にまとめられている。 Fragmenta Valesiana様々な書物での引用部分集めたもの。近世の歴史家ヘンリ・ヴァロアによって執筆される。 Fragmenta Peiresciana東ローマ皇帝コンスタンティノス7世によって収集された断片総称。一冊の本として時系列順に纏められている。 Fragmenta Ursiniana宮殿から失われていたFragmenta Peirescianaの一部シチリア島でフルヴィオ・オルシーニによって発見された。 Excerpta Vaticanaカトリック教会によって発見され断片61巻から80巻の部分含められている。 カッシウス・ディオトゥキディデス手本にして『ローマ史』の執筆あたったが、脚色論法正確さ、及び視点堅実さという点からは不十分な結果といえる。また彼のギリシャ語概ね正確だが、ラテン語の用語が頻出している。

※この「「ローマ史」」の解説は、「カッシウス・ディオ」の解説の一部です。
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