「メトロ」開発の経緯
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「フェアチャイルド メトロ」の記事における「「メトロ」開発の経緯」の解説
ビル・リア(英語: Bill Lear)やディー・ハワード(Dee Howard)の下で航空機の開発研究を行っていたエド・スウェアリンジェン(英語: Ed Swearingen)は、1959年に独立し、アメリカ合衆国テキサス州のサンアントニオ国際空港そばにスウェアリンジェン・エアクラフトを設立した。この独立後、「エクスカリバー」(Excalibur)と呼ばれるビーチクラフト ツイン・ボナンザ、ビーチクラフト クイーンエアの改造を手掛けていた。 1964年になると、「基礎となる汎用胴体を開発し、レシプロ、ターボプロップ、ジェットといった各種エンジンと組み合わせることにより、また胴体の長さを変えることにより、多様な航空機シリーズを作りだす」とのアイデアのもと、ビジネス機「ビーチクラフト キングエア」を凌駕する航空機を目指し、新型航空機の開発を始めた。ジェット機の亜音速対応や高速度・長航続距離化のための空気抵抗削減、胴体延長対応、与圧効率化などの観点より、前後で半径が変わらない円筒型の胴体を新開発、また尾翼も新製し、クイーンエアの主翼、ツイン・ボナンザの降着装置と組み合わせ、これがビジネス機「スウェアリンジェン マーリン(英語版)」となった。まず、4人乗りレシプロエンジン(ライトカミング TIGO-540(英語版))搭載の「SA26 マーリン」として開発が始まったが、この機体は生産には至らなかった。胴体を延伸、プラット・アンド・ホイットニー・カナダ PT6ターボプロップエンジンを採用、それに合わせて主翼を適応させた8人乗りビジネス機「マーリンII」は、1965年に初飛行、1966年にアメリカ連邦航空局(FAA)の型式証明を取得、「SA26-T マーリンIIA」として商業生産・販売開始となった。1967年になるとギャレット・エアリサーチ(英語版)と「マーリン」の独占的販売の契約を結び、エンジンをギャレット TPE331-1-151Gへと変更した「SA26-AT マーリンIIB」を開発、1968年に型式証明を取得し、「SA26-T マーリンIIA」に替わり生産されることとなった。 その後、主翼・尾翼(十字尾翼)・降着装置を自社で新製し、胴体延伸型の開発も行われ、8人乗りビジネス機「SA226-T マーリンIII」(型式証明取得:1970年7月)、胴体延伸型12人乗りビジネス機「SA226-AT マーリンIV」(型式証明取得:1970年9月)、胴体延伸型を乗客19席(最大20席)で最大離陸重量5,670kg(12,500ポンド)のコミューター機とした「SA226-TC メトロ」(初飛行:1969年8月26日、型式証明取得:1970年6月)として結実した。なお、この当時のアメリカの航空業界の背景としては、1969年に「乗客用19席以下、最大離陸重量12,500ポンド(5,670kg)以下の機体であれば、運航証明書なしでの地域航空定期運航事業(コミューター航空)に使用できる」との規定が制定されていた。
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