「ホテル万世閣」
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ホテル万世閣と名づけられた萬世閣第1号ホテルは、当時の洞爺湖で唯一の鉄筋コンクリート造りで、北海道、東北地区最大の規模を誇った。地上6階、地下1階、延べ面積4602m2。客室は和室24室、洋室15室、和・洋室(コンビネーションルーム)15室の計54室で全室にバス、トイレ付き。250人が収容可能である。特に当時話題となったのが和洋折衷のコンビネーションルームであり、設計にあたり豊と、建築設計士と先進観光地を視察し、その時得たヒントを基に考え出された。以降、コンビネーションルームを取り入れるリゾートホテルが増え、1つのスタイルとして定着しただけに先べんをつけるものとなった。 また、全フロアにバルコニーを付け、湖水の眺めの良さが魅力的であった。地下にレストラン、厨房、ダンスホール、バーなど当時としては画期的な建造物であった。また屋上部分にはガラス張りの展望棟を設けるなど旅館からホテルへと徹底的に改革された。 この一方、豊は、経営合理化の為、経理事務部門への設備投資も積極的に行った。1961年(昭和36年)には各地のホテルセミナーに出席。レジスターやテレックスなど、エアシューターなど先進の設備へ積極的に投資した。また1962年から1965年までホテル万世閣をさらに増築、2億5000万円を増資し、地上7階を増築、増築延べ面積は2919m2、客室を新たに和室23室、洋室22室、特別室2室の増築で175人収容可能、全館で111室、収容人数は380人と拡大し1965年4月に工事を完了させた。 また「ホテル万世閣」の建設と同時期に別館「第二万世閣」の建設も同時に進行させていた。「第二万世閣ユーカラ荘」に替わる新しい施設が必要となった為である。一部鉄筋コンクリート3階建て、延べ面積2310m2、客室は40室で大浴場を設けた。また昭和41年4月に「第一ホテル」に改称し、修学旅行生ばかりではなく一般客の利用も目指し、ホテル裏手の6600m2の土地に洞爺湖初のゴーカート場を新設。 第一ホテルは昭和44年11月に売却するまで低料金で人気を集めた。またこの頃、札幌と洞爺湖温泉の送迎バスによる無料送迎を始めたのも洞爺湖温泉では万世閣が初めてであった。
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