〈具体美術協会〉における活動
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「山崎つる子」の記事における「〈具体美術協会〉における活動」の解説
1954年、吉原と彼のもとに集まった若者たちによる〈具体美術協会〉の結成に参加。 翌1955年7月「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」では、トタン板を四角く切って縦に長く繋げた《トタン板の鎖》を発表。以降、金属の光沢を利用した作品を多く手掛けるようになる。同年10月の「第1回具体美術展」では、 染料を定着させたブリキ缶をランダムに配置する作品《ブリキ缶》などを出品。翌1956年7月「野外具体美術展」では、赤いビニールを木に括って張り巡らせた蚊帳状の立体作品(再制作《赤》1985年、兵庫県立美術館蔵)と、鮮やかな染料が施されたブリキ板が高さ3.3メートル、幅6.6メートルまで繋がれた作品《三面鏡》(再制作《三面鏡ではない》2007年、金沢21世紀美術館蔵)を発表した。これらの作品群は、ブリキ、染料、光、影といったそれぞれの物質感が連鎖作用を起こすことで存在感を放つ。 1950年代後半から、フランスの美術批評家であるミシェル・タピエとの交流により〈具体〉はアンフォルメルの代表的グループと見なされ、海外進出を果たすが、これにしたがって絵画が活動の中心になり出す。山崎も「第6回具体展」(1958年)を境に、キャンバスを支持体とした平面作品に取り組んだ。典型的な作例では、硬質なストライプを背景に、円・楕円・矩形といった幾何学的形態や、雲状の有機的な形態、勢いを感じさせるストロークなどを多様に組み合わせ、それぞれの色調の強烈な対比によって目の覚めるような効果を生んでいる。 支持体にキャンバスを常用し始めた後も、凹凸のある金属板を壁面に不規則に配置した作品や(「第8回具体美術展」1959年)、皺をつくった金属板の下方から色とりどりの照明を当てた作品(「第10回具体美術展」会場入口ディスプレイ、1961年)など、光とブリキの色彩や素材感を浮き彫りにする作品も継続して発表した。 1972年の解散まで同協会に在籍した。
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