〈具体美術協会〉
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1967年3月、兵庫県伊丹市に転居。この年から、それまでの物質感を強調したコラージュ作品とは全く異なる画風を確立する。最初は画面全体に碁盤の目を引き、その上に休符の記号を用いた詩を描いた。やがて、プラスとマイナスの記号を用いて表現した碁盤の目のみで画面を構成するようになり、さらには水平線と垂直線の上に、無数の短い先を重ねてゆく手法を取るようになった。こうして、極めて細密な描線による直線的なパターンが無数に集積する、代表作品のシリーズが生み出された。製図用のカラス口を用いて無数の細かい線を丹念に描く作風は、アンフォルメル風の動的な筆触の多い〈具体〉の中で異質であり、ひときわ静謐で繊細な印象を与える。 1968年、正式に〈具体〉の会員となる。翌年、大阪の今橋画廊で初個展。1970年「第5回日本芸術祭(ジャパン・アート・フェスティバル)」(東京国立近代美術館)に入選し、同展はアメリカに巡回して注目を浴びた。1971年「第10回現代日本美術展」(東京都美術館)に《レヴィ・ストロースの世界Ⅰ》(東京国立近代美術館蔵)が入選。同年、〈具体〉の展示施設・グタイミニピナコテカ開館にて、同協会会員として初の個展を開いた。また、この年、自身の絵と言葉による本『SU氏 1965~1971』を自費出版。1972年「芦屋市美術展」で吉原治良賞受賞。
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