"騎兵戦車"D、E型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 09:18 UTC 版)
1938年初め、兵器局は新編の軽師団向けに、偵察用高速戦車(Schnellkampfwagen)、秘匿名称La.S. 138(農業用トラクター138型)の開発をダイムラー・ベンツ社に命じた。これは従来騎兵部隊が担ってきた強行偵察・追撃の任にあたるための快速の軽戦車で、標準型のII号戦車の40 km/hの最高速度では不足と考えられたためである。 この新型軽戦車は、砲塔とエンジンは標準型II号戦車と共通だったが、車体は新設計で、そのレイアウトは、同じくダイムラー・ベンツが開発したIII号戦車に似ていた。足回りは大型の複列式転輪が片側4つで上部転輪はなく、ドイツ戦車としては初めてトーションバー・サスペンションとマイバッハ VG102128 プリセレクト式変速機を採用、F&S PF220K 乾式多板クラッチと組み合わせていた。車体前面装甲は同時期の標準型II号戦車より厚く、30 mmとなっていた。そのため車重も10 tと若干重かったが、高速走行に適した駆動系・足回りで、最高速度は55 km/hに達した。 生産はMAN社で行われ、1938年5月から1939年8月にかけ、全43輌が作られた。その後、この戦車には(標準型とは別設計であるにもかかわらず)、II号戦車D、E型(特殊車両番号121)(Panzerkampfwagen II Ausf. D, E (Sd.Kfz.121))の制式名称が与えられた。D型は一般的なシングルピン型乾式履帯を履いていたが、後期に生産されたE型はドイツのハーフトラック系列に似た形状の湿式履帯で(ただし試作車両を除き接地面にゴムパッドは付かない)、これに伴い起動輪、誘導輪の(資料により転輪も)形状が変化していた。D、E型は生産数も残された資料も少ないが、特に湿式履帯を持つE型の写真等は少ない。その後、火炎放射戦車、自走砲用に車台が追加生産されたが、これらはほぼD型仕様の足回りを持っていた。 高速の偵察用車両として開発されたD、E型だったが、確かに路上最高速度は標準型を上回ったものの、不整地走行性能が期待を裏切り、少数のみで生産は打ち切られた。生産車は一個大隊を充足する数で、計画通り軽師団に配属されて1939年のポーランド戦に投入されたが、1940年には部隊から引き上げられ、火炎放射戦車に改装された。
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