母の初恋 愛する人達

母の初恋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 11:45 UTC 版)

愛する人達

愛する人達
著者 川端康成
イラスト 装幀:芹沢銈介
発行日 1941年12月8日
発行元 新潮社
ジャンル 短編小説
日本
言語 日本語
形態 上製本
公式サイト [1]
コード NCID BN07369558
ウィキポータル 文学
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『母の初恋』と同時期に、雑誌『婦人公論』に連載された短編は他に8編あるが、これらは〈愛する人達〉という題名で単行本となった。いずれも円熟期の川端の名編とされ、「愛情」を描いている点でその諸作品は一貫したものを持ちながら、取材、想念、手法の上にも様々な変化を見せている[5][11]

『母の初恋』以外の作品は、以下のようなあらすじである。なお、〈愛する人達〉という名称の作品はないが、『ほくろの手紙』の作品内に、〈わたくしは愛する人達を思ふために…〉という文章が出てくる。

女の夢

ずっと独身だった36歳の歯科医の大学助手・久原健一が、ある美貌の令嬢・治子と見合い結婚して幸福になるが、27歳の治子もずっと適齢期を過ぎても独身だった。久原は彼女が何故結婚しなかったのかを承知の上で結婚した。それは治子に片想いし失恋して自殺した従兄がいたからだった。久原はそんな相手の思い込みの平凡な筋書きのような出来事は気にならなかった。しかしそのことよりも治子は、従兄の件で壊れた縁談相手の片桐を愛していたために結婚しなかったのであった。でも治子はそれを久原には話さないでおいた。久原と結婚し二晩目、喜びを知った治子は死んだ従兄の夢を見て、罪の意識を覚えた。久原は友人の医師の伝手で、従兄が元々神経衰弱だったことを調べ、治子を安心させる。しかし、治子のうちの美しい思い出も天恵の福も失われてゆくようだった。

ほくろの手紙

小夜子には、右肩の首の付け根に黒豆のようなほくろのあり、子供の頃からそれをいじるがあった。結婚してからも小夜子は、夫に、「みじめに見える」とたしなまれてもその癖が止められなかった。しかし、夫にぶたれ蹴られても治らなかった癖が、夫が無関心になり何も言わなくなると治った。里に帰った小夜子は、自分がほくろをいじっていたのは、幼い頃に母や姉に可愛がられて、いじられていたことに思い当たり、その癖は愛する人達を思うためだったと考えた。そして幼い頃を思い出そうと、ほくろを久しぶりに触ってみるが、思い出すのはあなた(夫)のことばかりだった。ほくろをいじる癖は、夫の愛情を求めての癖でもあった。小夜子はそのことを夫へ書き綴った。

夜のさいころ

興行踊子たちを率いている水田は、夜、踊子たちが眠る隣の部屋で、いつも一人寝床で、五つのサイコロを振っている若い踊子・みち子のことが気になっていた。みち子の母親は芸者でサイコロの名人だったらしく、その癖が子供のみち子にまで移っていたらしかった。水田はみち子にサイコロを捨てさせた。無口なみち子をよく近くで見ると、思ったよりもいい娘だった。水田は、人の化粧品を使っているみち子に、化粧品を買ってやるついでに新しいサイコロを二つ買ってやった。「一が出たら、みち子と恋愛しようか」と水田が言うと、17歳のみち子は恥じらいながらも二つとも“一”にした。けれども水田は「もう一度やってごらん」と茶化す。
みち子のサイコロはまた五つになり、前のように練習していた。一つ一つ順番に全部“一”は出せるが、いちどきにみんな“一”にするのは難しかった。もう一人、みち子に注目して愛していた男優の花岡が水田に絡んできて、みち子の謎は、子供の時に性的いたずらをされたんじゃないかと吹き込み、水田は不快になった。花岡はみち子にいい役を付けて、ぱあっとさせてほしいと水田に言った。しかし寝床で、みんなの見ている前で、サイコロの目を全部いっぺんに“一”にしたみち子の無邪気な膝小僧を見た水田は、花岡の観察など真っ赤な嘘だと分かった。水田は、全部“一”の揃ったサイコロを美しい花火のように思い、一座に見切りをつけて、「ぱあっと」みち子と2人で出ていこうと思った。

燕の童女

新婚旅行の帰りの展望車」の中、牧田は日光にさらされている妻・章子の首の産毛を見た。その産毛は、牧田のするがままにおとなしく従っていた章子の体に、かくれているものを感じさせた。章子の髪の毛もまた、少し赤茶けて見えた。牧田は目を閉じると、しびれるような甘い疲れが体の芯にあって、行きの船旅で見た無数の海月が頭に浮かんだ。その時の章子は両親との別れに涙ぐんでハンカチを振っていた。
東京へ戻る帰りの汽車の前の席には、赤茶けた髪の毛のあいの子らしい7歳くらいの幼い女の子が座っていた。女の子は一人で絵本も見たり、紙風船を膨らませたり、折り紙を折ったりして遊んでいた。少し離れたところにいる母親は本を読んでいたが、女の子は一人でも平気そうだった。牧田夫婦はその可愛らしい女の子を観察していた。章子はふと夫に、「私達、一生この子のことを思い出すでしょうね。もう二度と会うことはないでしょうけれど」と言った。牧田は、世界中の人種雑婚の平和な時代は、遠い未来に来るであろうかと、ぼんやり考えた。

夫唱婦和

27歳の延子は夫・牧山が帰宅すると、ネクタイをほどき、靴下を脱がせ足袋をはかせてやる貞淑な妻だった。出かけにも、夫に靴下をはかせ、ワイシャツチョッキを着せた。そういった習慣は、延子の母親も亡き父親にしていたことだった。牧山は養子だったが、東京の教師のため、延子の田舎の実家には母一人になったが、一人娘の延子が東京へ行ってしまうと、の子・桂子を引き取っていた。延子と牧山夫婦は仲が良く、牧山は老後になったら、今の若い自分達のことを、延子に昔話としていろいろ聞かせてもらうことを楽しみとしていた。
延子の母親が死に、牧山は反対したが、桂子を東京の家に引き取ることになった。延子より3歳年下の桂子は背ばかり高く、骨張った感じで女らしさがなく、家事もぞんざいで、延子が牧山に足袋をはかせているのを見て冷笑していた。だが、そんな桂子も恋愛をしている女の眼のように変わってきた。桂子は牧山の助手・佐川と結婚の約束をし、妊娠していることを延子に打ち明けた。
しかし佐川の話を聞くと、佐川は桂子と結婚するつもりはないと言った。佐川は松山夫婦の前で、自分の日記を延子に見てもらいたいと言った。佐川の日記には、延子を愛していることが綴られ、それを桂子に見破られて、関係を迫られたことが書かれてあった。松山は延子に桂子の非の判断を任せたために、その日記を見ず、真実を知らないままだった。延子は佐山が自分を愛していたなどとは夢にも思わなかった。自分の覚えている人生と夫の覚えている人生が、違って来たことを自覚した延子は、老後の思い出話の中にそのことを夫に言えるだろうか、言えるようにならなければならないと考えた。

子供一人

この春、女学校を出たばかりの芳子は病院で、激しいつわりに苦しみ、お産ができるかどうかも危ぶまれていた。そんな未熟な幼な妻の母体の危機を夫・元田はいたわり見守っていた。田舎町の造り酒屋の娘・芳子は卒業間近、親の縁談を嫌がり、屋の息子で、苦学し去年大学を出て働いていた元田のアパートへ逃げて行ったのだった。芳子が妊娠し、2人は結婚を許されたため、芳子は死んでも産むと言い張り、自分が死んだ後に夫が日常のことに困らないように書きつけた「遺言状」まで作っていた。
やがて不安は薄れ、芳子は食欲も増し、どんどん太ってきた。しかし芳子は平気で煙草を吸い、人が変わったように下品になり、夫に反抗的態度を取るようになってきた。芳子は病的な嫉妬に悩まされて女中も辞めさせ、夫が母体を心配して医者に中絶を頼んだことさえも逆恨みし、被害妄想に陥った。精神に異常をきたした芳子は自分でも自覚して宗教書などを読んだりしたが、被害妄想は収まらず、夫に虐待されているから離婚すると里へ手紙を出したりした。辞めていった女中が芳子の実家へ様子を伝えていたため、迎えにきた芳子の姉は、元田を責めなかった。芳子は戻るつもりらしく「遺言状」が机に残してあった。不可解な女心が元田の胸にしみた。
やがて無事に出産したという電報が来て、元田が芳子の産室へ行くと、にっこり笑って再び可憐な少女のような芳子に戻り、赤ん坊を含ませていた。元田は信じられないような奇怪な思いで、芳子を幾つもの人間に変えて、魔術師のように翻弄したとも思える、あどけないのような新しい生き物が母の乳を強い力で吸っているのを見つめていた。

ゆくひと

15、6歳の佐紀雄は、「やったあ」と歓声をあげて、浅間山噴火を見るために月夜のヴェランダに飛び出した。佐紀雄は小さい頃から、軽井沢別荘に滞在中、浅間が噴火する度にヴェランダに飛び出すので、両親に笑われていた。爆発の直後は、煙とは思えない恐ろしい力が凝結した固形体と見える。いわば大地の砲口から出たばかりのこのように大きい力を形にして見ることの出来るのは、他にありそうもないと佐紀雄は思っていた。煙が伸び上がったり、横にたなびいて拡がってしまってからは噴火を見た気がしないのである。
そんな佐紀雄のところへ弘子が寄り添い、肩に触れて、「なかへ入りましょう」と話しかけて来た。弘子の体臭や、娘らしい甘さが佐紀雄の胸にしみ、不意に悲しくなった。火山砂のように降って来ても、中へ入ろうとしない佐紀雄の顔に突然流れている涙を弘子は見た。それは思いがけないもので、少年の純粋なものが伝わって来るだけだった。
帰ってゆく弘子を、佐紀雄は蝙蝠傘二本持って追って行き、傘はいらないと言う弘子と一つの傘になり町まで送っていった。弘子は話しているうちに、また佐紀雄の肩を抱いていた。佐紀雄は、どうしてよく知らない人のところへお嫁に行ってしまうのか、弘子さんを好きな人は沢山いるのに、と早口で弘子に聞いた。弘子は、「そういうものよ」と答えたが、佐紀雄は怒るように肩をすぼめて弘子の手をはずした。結婚するという人が、なにげなく自分の肩を抱いてくれることは、佐紀雄は許せないように思えた。

年の暮

劇作家の加島泉太は、「亡き友の妻いづこならん年の暮」という俳句をつぶやき、娘の泰子に意見を求めたが、本当はそんなことはどうでもよかった。ただ娘の声を聞きたかっただけだった。泰子は8、9か月前に嫁入りしたのだが、夫と別れるつもりで里へ帰って来ていた。それでも泉太は娘の声を久しぶりに聞いて、自分の中に埋もれていたものが、ぱっと花を開いたかのようであった。娘の声は妻・綱子の声にそっくりで、娘が家にいる時分はあまり気にもかけなかったが、嫁入りした後に電話で聞く娘の声は、若い頃の妻を思い出させたりした。町で娘と同じ年頃の娘を見ると、このような若い娘の恋愛相手に自分だってなれないことはないのだという年甲斐もない、さもしい根性も頭をもたげた。
「亡き友の妻」というのは、泉太の愛読者で約10年間、泉太の色紙を買い続けてくれていた女性・木曾千代子であった。女学生だった千代子は、泉太へずっと手紙を寄こしていて、3年目の夏に泉太の家を訪問して来た。まだ可憐な小娘である千代子に、泉太は陰鬱な自分の作品など読んでもらいたくなく、「あなたの存在の方が、どれだけいいかしれやしない」と思わず口走るところだった。泉太の作品は、殺人などを描き、極彩色じみた絢爛な作風であった。
泉太は娘の泰子が小学校に上がり、自分の作品を読むのも嫌であった。弟の明男が生まれてから、母でなく自分と添い寝をするようになった泰子のおかっぱの毛を息で吹きながら、泉太は自分の経て来た道を虚ろに感じるのだった。自分の書いた悲劇などは、案山子が舞台で肩肘張って、破れ衣の袖を振りながら踊っているに過ぎず、案山子は作者の姿であり、客がいると思った見物席には、蕭々と野分が吹いているだけなのだ。自分がこの世に生んだ生き身は2人の子供だけで、戯曲などは死物だと泉太は思った。
千代子は、5年目の色紙を買って間もなくして、結婚した。そう聞いた時の自分のさびしさが泉太には意外であった。泉太は千代子を精一杯愛さなかったことを後悔した。それは、朝に千代子を愛することが出来たならば、その夕に死んでもいいという覚悟で、千代子と付き合って来なかった悔恨だった。愛するというと穏やかではないが、それはのことで、泉太は千代子といい加減に付き合って来た年月、自分は十分に生きていなかったと悔いた。千代子はその後も色紙を買い続けてくれたが、8年目に夫が戦死してから、消息が途絶えた。そんなことを考えながら、年の暮、茫々として人生の思いが、泉太の胸を流れた。

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 三島由紀夫「解説」(『夜のさいころ』浪漫新書・トッパン、1949年1月)。「『夜のさいころ』などについて」(『狩と獲物』要書房、1951年6月)。三島27巻 2003, pp. 129–133に所収
  2. ^ a b 「あとがき」(『正月三ヶ日』新声閣、1940年12月)。評論5 1982, p. 595に所収
  3. ^ a b c 「解題」(小説7 1981, pp. 591-)
  4. ^ 「あとがき」(『川端康成選集第9巻 高原』(改造社、1939年12月)。評論5 1982, pp. 567–662
  5. ^ a b c d e f g 高見順「解説」(愛する 2006, pp. 223–230)
  6. ^ a b c 「後姿」(「父母への手紙」第二信)(文藝時代 1932年4月号)。小説5 1980, pp. 181–232、作家の自伝 & 1994-09に所収
  7. ^ a b 「第三章 千客万来の日々――満州行」(秀子 1983, pp. 75–156)
  8. ^ a b 川嶋至「『伊豆の踊子』を彩る女性」(上・下)(北海道大学国文学会 国語国文 第18・19号、20号、1961年3月、12月)。「第三章 精神の傷あと―『みち子もの』と『伊豆の踊子』―」(川嶋 1969, pp. 65–111)
  9. ^ 川嶋至「『母の初恋』論のための序章」(苫小牧駒澤短期大学研究紀要 第2号、1966年11月)。「『母の初恋』をめぐる一つの推論」(北海道大学国文学会 国語国文研究 第36号、1967年2月)。「第五章 ひとつの断層―みち子像の変貌と『禽獣』の周辺―」(川嶋 1969, pp. 158–199。森本・上 2014, pp. 399–340
  10. ^ a b 福田淳子「母の初恋」(事典 1998, pp. 297–298)
  11. ^ 「カバー解説」(愛する 2006
  12. ^ a b c d 「第三章 恋の墓標と〈美神〉の蘇生――自己確立へ 第五節 〈美神〉の蘇生『母の初恋』」(森本・上 2014, pp. 398–414)
  13. ^ a b 「第三章 恋の墓標と〈美神〉の蘇生――自己確立へ 第七節 新しい〈美神〉『故園』と『天授の子』」(森本・上 2014, pp. 450–472)
  14. ^ 田中保隆「故園」(作品研究 1969, pp. 189–204)






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