ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦) 武装

ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 09:34 UTC 版)

武装

写真は1906年に撮られた「パンテレイモン」時代の本艦。円筒形の主砲塔と艦首尾線方向への副砲の射界を確保すべく切り欠かれた舷側部と舷側に張り出した副砲ケースメイト配置が良く判る写真。

本艦の主砲は前級に引き続き「Pattern 1895 30.5 cm(40口径)砲」を採用した。砲弾重量は331.7 kgの砲弾を仰角15 度で初速は792.5 m/sで撃って最大射程14,640 mまで届かせられ、射程5,490 mで201 mmの舷側装甲を貫通できた。この砲を円筒形の連装砲塔に収めて2 基4 門だった。砲塔1 基当たりの重さは43 tで、仰能力は仰角15 度・俯角5 度である。旋回角度は単体首尾線方向を0 度として左右135 度の旋回角度を持つ、主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分1発の設計であったが1分あたり0.75 発であった。1 門当たりに割り当てられた砲弾は、徹甲弾が18 発、榴弾が18 発、破砕弾が4 発、鋳鉄弾が18 発、対人散弾が2 発であった。砲塔は、最大254 mmの装甲を持っていた。

副砲に「Pattern 1892 15.2cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は41.4 kgの砲弾を、仰角20度で初速792 m/sで撃って11,520 mまで届かせられ、射程5,490 mで43 mmの装甲を貫通できた。1門あたり重さ5 tで舷側部の装甲砲座(砲廓ケースメートとも言う)に片舷8 基ずつ計16 門が搭載された。砲架の俯仰能力は仰角20 度・俯角5 度である。旋回角度は135 度で発射速度は毎分3発の設計であった。装甲砲座は、127 mmの装甲を持っていた。

このほか、小口径砲として75 mm速射砲や甲板上や装甲砲座、47mm速射砲がマストのファイティングトップに装備された。機関銃もマスト上に装備された。魚雷発射管も装備されていた。


注釈

  1. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では6月27日
  2. ^ 映画『戦艦ポチョムキン』の劇中では、「が湧いた肉」と描写されている。
  3. ^ ロシア語名のアファナーシイ・マチュシェーンコでも知られる。
  4. ^ リチャード・ハフ著、由良君美訳『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社、2003年で「軽巡洋艦」としているのは誤り。
  5. ^ 日本語表記については、ポクローフスキイ著、岡田宗司訳『ロシヤ史』学芸社、1936年、p.419「『ポチョムキン』を『パンテレイモン』と改名した」のくだりを参照。ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年、p.251でも同様。リチャード・ハフ著、由良君美訳『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社、2003年の訳と解説は誤り。聖人の名前なので、平民を馬鹿にしたものなどではまったくない。
  6. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.307では聖パンテレイモンとしている。
  7. ^ 聖人に敬意を表して聖パンテレイモンスヴャトイ・パンテレイモンСвятой Пантелеймонスヴィトーイ・パンチリェーイマン)としばしば呼ばれるが、ロシア連邦海軍黒海艦隊によれば、これは正式な名称ではない。
  8. ^ あるいはモスクワ大公国とも。
  9. ^ およそ19 km。
  10. ^ ヤウズ・スルタン・セリムの乗員や指揮は事実上ドイツ軍のものであると考えられていたため、ロシアではこの艦のドイツ名であるゲーベンで通していた。
  11. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では4月13日
  12. ^ 日本語表記については、ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年参照。
  13. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では5月11日
  14. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では12月29日
  15. ^ この布告は『レーニン全集』に入っているが、レフ・トロツキーの起草であることが明らかになっている。
  16. ^ 当時、ウクライナ国海軍には活動中の戦列艦ヴォーリャのほかに、建造中のソボールナ・ウクライナと修理中のインペラトルィーツャ・マリーヤがあった。

出典

  1. ^ 艦名の日本語文献における表記は、次のような状況。
    ポチョムキン・タヴリーチェスキー公
    江口朴郎野原四郎林基監訳『ソビエト科学アカデミー版 世界史 近代9』商工出版社、1963年、p.427-428
    田中陽児、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史2』山川出版社1994年
    ポチョムキン・タヴリーチェスキー公爵
    ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房1976年、p.244
    ポチョムキン・タヴリチェスキー公爵
    セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社1974年、p.4、5(脚注解説)、67、303、304、308(p.303、304、308は山田和夫著の「解説」章)
    リチャード・ハフ著、由良君美訳『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社2003年
    ポチョムキン・タヴリチェスキー公
    セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.306
    ポチョムキン公
    ポクローフスキイ著、岡田宗司訳『ロシヤ史』学芸社、1936年、p.418
    ポチョムキン公爵
    ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年、p.250
    ポチョムキン・タヴリーチェスキー
    ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年、p.240
    クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー
    阿部安雄著「ロシア/ソビエト戦艦建造史」『世界の艦船』459号、1992年海人社、p.119
    筑土龍男著「ロシア/ソビエト戦艦の技術的特長」『世界の艦船』459号、1992年、海人社、p.129
    クニャージ・ポチョムキン
    富岡定俊編、財団法人資料調査会著『ロシア大革命史4 第一次革命より第一次大戦へ』ロシア大革命史刊行会、1958年、p.43
    クニャージ・ポチョムキン・タブリチャスキー
    富岡定俊編、財団法人資料調査会著『ロシア大革命史4 第一次革命より第一次大戦へ』ロシア大革命史刊行会、1958年、p.43。「チャ」は誤り。
    クニャーズ・ポチョムキン・タブリチャスキー
    富岡定俊編、財団法人資料調査会著『ロシア大革命史4 第一次革命より第一次大戦へ』ロシア大革命史刊行会、1958年、p.44。「ズ」と「チャ」は誤り。
    ポチョムキン
    和田春樹編『新版世界各国史22 ロシア史』山川出版社、2002年
    ポクローフスキイ著、岡田宗司訳『ロシヤ史』学芸社、1936年
    外川継男著『世界の歴史18 ロシアとソ連邦』講談社、1978年、p.289-290
    倉持俊一著『世界現代史29 ヨーロッパ地域』山川出版社、1980年、p.127
    和田春樹著『ヒストリカル・ガイド ロシア』山川出版社、2001年、p.126
    川端香男里ほか監修『ロシアを知る事典』平凡社2004年、p.820
    秋山信雄著「ロシア/ソビエト戦艦はいかに戦ったか」『世界の艦船』459号、1992年、海人社、p.137
    京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補版』東京創元社1993年
    芳賀登編集代表『世界歴史大事典18』教育出版センター1995年(項目の執筆者:木崎良平
    筑紫哲也監修、角川書店編集部編集『Ourtimes20世紀』角川書店・日米共同出版、1998年、p.67
    『20世紀年表』毎日新聞社1997年、p.97
    樺山紘一ほか編集委員『クロニック世界全史』講談社、1994年
    『二十世紀2 古き良きヨーロッパ』中央公論社1977年、p.259
    土肥恒之著『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社、2007年、p.293
    梅田良忠岩間徹編集担当『図説世界文化史大系12 東欧・ロシア』角川書店、1959年、p.279
    『世界歴史大系12』1957年、p.82
    岩間徹編『世界各国史4 ロシア史』山川出版社、1979年、p.399-400
    ほか多数
    ここまで、いずれの書籍においても略称である「ポチョムキン」は見られる。
    ポチョームキン=タヴリチェスキー公爵
    イ=ア=フェドーソフ著、倉持俊一、加藤雅子訳『全訳世界の歴史教科書シリーズ20 ソヴィエト連邦 その人々の歴史II』、p.65
    ポチョームキン
    稲子恒夫編著『ロシアの20世紀』東洋書店、2007年、初版、p.35、p.106。ロシア語のアクセント位置を長音符で表すべき旨、はしがき『人名と地名』(p.7)にて述べたうえで、長音符を用いている。
    コンスタンチン=タルノフスキイ著、倉持俊一、加藤一郎訳『図説 ソ連の歴史』山川出版社、1982年、p.62-63
    イ=ア=フェドーソフ著、倉持俊一、加藤雅子訳『全訳世界の歴史教科書シリーズ20 ソヴィエト連邦 その人々の歴史II』、p.65
  1. ^ 稲子恒夫編著『ロシアの20世紀』東洋書店、2007年、p.106参照。
  2. ^ "Ivan Beshoff, Last Survivor of Mutiny on the Potemkin", New York Times, October 28, 1987
  3. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.82参照。
  4. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.112参照。
  5. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳「十二使徒号」『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.22-79。論文自体は1945年に書かれたもの。
  6. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年参照。
  7. ^ Google Books
  8. ^ [1] 国立国会図書館検索結果





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