ウクライナ国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 21:20 UTC 版)
「ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)」の記事における「ウクライナ国時代」の解説
これに呼応し、1918年4月にはセヴァストーポリでは港湾労働者と工場労働者による二度の反ボリシェヴィキ蜂起が発生した。艦隊の水兵は積極的に支援した。 4月22日には、黒海艦隊司令官のムィハーイロ・サーブリン海軍少将によって「すべての船舶、クリミア半島にある港湾施設は、ウクライナ人民共和国の管轄下にあり。よって、必要箇所についてはすべて、ウクライナ国旗を掲揚すべし」とする宣言が発令された。 1918年4月29日には、ボレーツ・ザ・スヴォボードゥに再び、ほかのすべての黒海艦隊艦船および要塞におけるのと同様、ウクライナ国旗が掲揚された。 同日、ヘーチマンの政変で共和国が倒されウクライナ国が建国された。ボレーツ・ザ・スヴォボードゥは、パウロー・スコロパードシクィイの治世において、ウクライナ国海軍に所属した。 しかし、ボレーツ・ザ・スヴォボードゥは1918年を通じて活動せず、長期の保管状態に置かれたままであった。一説には乗員が不足したためだとも言い、艦の一部を新しい弩級戦艦のために供出してしまったためだとも言われる。
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