スター千一夜
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ネット局
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- 15分という半端な枠ゆえに、フジテレビ系フルネット局以外では未放送だった曜日や内容もあったり、途中打ち切りになった所も多い[注 4]。系列は現在の系列。○は現在他系列局であるが、放送当時フジテレビ系列局や他系列とのクロスネットだった局。地方局によってはフジテレビと同じ時間帯とは限らない。(地方局1局時代)
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 北海道放送 | TBS系列 | 1959年8月から1961年9月まで 開始当初は火曜・木曜 22:45 - 23:00 (但し、木曜の同時ネットは1960年11月からで、それまでは水曜の放送分を翌日に放送)[11] |
札幌テレビ | 日本テレビ系列 | ○1961年10月から1965年4月まで
開始当初は土曜 21:45 - 22:00、日曜 18:15 - 18:30 1963年10月 - 1965年4月は金曜・日曜 22:15 - 22:30[12] | |
北海道文化放送 | フジテレビ系列 | 1972年1月14日のサービス放送開始時から、帯放送[13] | |
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 | 途中打ち切り |
岩手県 | IBC岩手放送 | TBS系列 | |
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 1969年9月まで |
秋田テレビ | フジテレビ系列 | 1969年10月開局から、帯放送 | |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 | 1970年3月まで、時差放送 |
山形テレビ | テレビ朝日系列 | ○1970年4月開局から同時ネット[14][注 5] | |
宮城県 | 東北放送 | TBS系列 | 1962年9月まで[15] 1961年8月から9月までは 火曜 21:00 - 21:15 1961年10月から1962年5月2日までは 水曜 21:00 - 21:15 1962年5月10日から1962年9月までは 木曜 22:15 - 22:30に放送 |
仙台放送 | フジテレビ系列 | 1962年10月開局から、帯放送[16] | |
福島県 | 福島テレビ | 1963年4月開局から1965年10月まで、水曜 21:30 - 21:45に放送[17][注 6] | |
福島中央テレビ | 日本テレビ系列 | ○1970年2月2日のサービス放送から、1971年9月30日まで同時ネット[18][注 7] | |
山梨県 | 山梨放送 | 途中打ち切り | |
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | 1968年11月28日まで、木曜放送 |
NST新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 1968年11月29日サービス放送開始から、帯放送[注 8] | |
長野県 | 信越放送 | TBS系列 | 1969年3月まで、金曜放送 |
長野放送 | フジテレビ系列 | 1969年4月1日の開局から、帯放送 | |
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | 1968年10月まで |
テレビ静岡 | フジテレビ系列 | 1968年11月開局から、帯放送 | |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 1969年3月まで、金曜放送 |
富山テレビ | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から、帯放送 | |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | 1969年3月まで |
石川テレビ | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から、帯放送 | |
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1962年6月時点で、金曜 21:00 - 21:15に[19] 1965年3月時点で、日曜 21:00 - 21:30に[20] それぞれ時差放送 |
福井テレビ | フジテレビ系列 | 1969年10月開局から、帯放送 | |
中京広域圏 | 東海テレビ | 水曜放送→月・水・金放送→帯放送 | |
近畿広域圏 | 関西テレビ | 土・日・火・水放送→帯放送 | |
鳥取県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 | 当時の放送エリアは鳥取県のみ 月・水曜放送→水曜放送→山陰中央テレビ開局前に打ち切り |
島根県→ 島根県・鳥取県 |
山陰中央テレビ | フジテレビ系列 | 1970年4月開局から、帯放送 1972年9月21日までの放送エリアは島根県のみ 1972年9月22日の電波相互乗り入れで鳥取県にもエリア拡大 |
岡山県 | RSK山陽放送 | TBS系列 | 1965年3月25日(フジテレビ3月24日放送分)まで。フジテレビ水曜日放送分を翌木曜日の22:15から放送して、その他の曜日はネットしていなかった。当時の放送エリアは岡山県のみ。 |
岡山県→ 岡山県・香川県 |
岡山放送 | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から、帯放送[注 9] 1979年3月30日までの放送エリアは岡山県のみ 1979年4月2日からは電波相互乗り入れに伴い香川県にもエリア拡大 |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 1962年8月まで |
広島テレビ | 日本テレビ系列 | ○1962年9月開局から1975年9月まで、帯放送 | |
テレビ新広島 | フジテレビ系列 | 1975年10月開局から、帯放送 | |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 | 途中打ち切り |
徳島県 | 四国放送 | ||
香川県 | 西日本放送 | 当時の放送エリアは香川県のみ | |
愛媛県 | 南海放送 | 1969年12月まで | |
テレビ愛媛 | フジテレビ系列 | 1969年12月開局から、帯放送 | |
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | 途中打ち切り |
福岡県 | 九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | ○1964年9月まで、土・日・水曜放送→日・月・水曜放送 |
テレビ西日本 | フジテレビ系列 | 1964年10月のネットチェンジから、帯放送 | |
佐賀県 | サガテレビ | 帯放送 | |
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | 1969年3月まで |
テレビ長崎 | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から、帯放送 | |
熊本県 | 熊本放送 | TBS系列 | 1969年3月まで |
テレビ熊本 | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から、帯放送 | |
大分県 | 大分放送 | TBS系列 | 1970年3月まで |
テレビ大分 | 日本テレビ系列 フジテレビ系列 |
1970年4月開局から、未放送だった曜日が多くあったが、 途中打ち切り[注 10] | |
宮崎県 | 宮崎放送 | TBS系列 | 1960年10月(アナログテレビ開局時)から
1960年10月は火曜 21:00 - 21:15 |
テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1970年4月開局から、帯放送 | |
鹿児島県 | 南日本放送 | TBS系列 | 1969年3月まで |
鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | 1969年4月開局から、帯放送
1969年4月は月曜 - 土曜 19:30 - 19:45 | |
沖縄県 | 沖縄テレビ | 1959年11月の開局からは月・金曜放送だったが、途中打ち切り 1973年4月に帯番組でネット再開 |
テーマ曲
複数の番組テーマ曲が作成されていた。確認されているものでは2代目の「夜が来ればスター千一夜」と言う歌詞で始まるもの(唄・フォーコインズ)と、3代目である歌詞の途中に「旭化成のスター千一夜」と歌われていたものとがある。同じ頃にはイントロ→タイトルコールのあと短いテーマ曲(内容紹介のナレーション入り)が流れたバージョンもあった。また1973年頃から1976年12月には、旭化成のCMソング(愛を育てる)がアニメーション[注 11]とともに流れていた(最終バージョンOPの1つ前、曲名は「愛を育てる」)。2代目は野坂昭如作詞・いずみたく作曲、3代目は三木鶏郎(進行役を経験した三木鮎郎の実兄)が作曲しているのが確認されているが作詞者は不明である。更に20年突入し、シンボルマーク(後述)を採用した1978年度用テーマと、マークをマイナーチェンジした1979年度以降の短いテーマが存在、後者は最終回特番でも使用された。
注釈
- ^ 最後にモノクロで放送されたものは1970年3月23日(#3410)、大相撲春場所優勝者大鵬幸喜と大阪万博各国パビリオンホステスがゲストの回。
- ^ 関口が初めて司会を務めた際、前田武彦がゲストとして招かれたが、放送直前になってよど号ハイジャック事件の人質帰国のニュースが入ったため、その模様を報じることになったものの、当時関口にはこのような報道を扱ったことがなかったため、前田が関口に代わって番組を仕切ることとなった。
- ^ 森繁久彌は、この半年強後の1982年3月31日に最終回を迎えた『小川宏ショー』でも、司会・小川宏を称える役でラストに出演、当時のフジテレビ2大長寿番組の最終回に出演となった。
- ^ 1959年3月6日付朝日新聞夕刊に掲載されている旭化成工業の広告によると、全曜日をネットしていた局は一つもない。
- ^ 放送当時はフジテレビ系列。
- ^ 放送当時は日本テレビ系列。1971年10月の福島中央テレビとのネット交換ではTBSメインの編成となったため、福島中央テレビからの再移行は行われなかった。
- ^ 放送当時はフジテレビ系列とNET系列のクロスネット。
- ^ 開局から1981年3月まで同時ネット。1981年4月から番組終了までの半年は、1週間遅れの14時45分から放送。
- ^ 開局前の試験放送期間中も、ほとんどの日に当番組を放送した。
- ^ ただし、開局前のサービス放送期間中は帯放送されていた。
- ^ ディフォルメ化された小柄な青年が歩いていると、頭上の鳥が卵を産み落とし、卵が大きくなってエミューの様な鳥が産まれ、毛玉風になってジャンプ、地平線が糸に変わると男はその糸を丸めて(この時画面右下に提供クレジット)投げてタイトルが登場するといった内容。その後タイトルに星が当たって星空に変わると、今日の放送内容が映される。またこのテーマは、2010年以降の復活版でも使用された。
出典
- ^ 機関誌バックナンバー 日本タンゴ・アカデミー (2011年 秋) ※2011年 tangolandia-23 → 12ページ (PDF) 2021年3月1日閲覧。
- ^ 「家庭婦人の見たテレビ評」『視聴覚教育』第16巻第9号、日本映画教育協会、1962年9月1日、74頁、NDLJP:6068095/41。
- ^ 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』95頁。
- ^ 芸能・バラエティ高世帯視聴率番組|ビデオリサーチ(2009/11/9閲覧)
- ^ 「パーセントの裏っ側 テレビ放送三十年の軌跡(4) 世相を反映した『スター千一夜』」『サンデー毎日』1983年3月27日号、148頁。
- ^ 『フジテレビジョン 開局50年史 DATA BOOK』20頁。
- ^ 『メディアの支配者 下』99頁。
- ^ a b c 週刊TVガイド 1981年1月30日号 p.22 「開局以来の長寿番組『スタ千』9月で終了!」
- ^ 『メディアの支配者 下』100頁。
- ^ “フジテレビで“秋の三谷まつり” 『スター千一夜』が復活”. ORICON STYLE (2015年10月8日). 2015年10月9日閲覧。
- ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1959年(昭和34年)3月 - 1961年(昭和36年)9月、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1961年(昭和36年)10月 - 1965年(昭和40年)4月、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)1月、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1970年4月5日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1961年8月1日 - 1962年9月27日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1962年10月4日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1962年4月3日、1965年10月27日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1970年2月2日、1971年9月30日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1962年6月8日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1965年3月7日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 宮崎放送開局三十周年記念事業委員会 編『宮崎放送三十年史』宮崎放送、1984年12月20日、310 - 313頁。NDLJP:12275337/180。「昭和35年(1960年)10月 テレビプログラム」「昭和39年(1964年)7月 テレビプログラム」
- ^ 「1969(昭和44)年4月基本番組表 3局クロス」「1980(昭和55)年4月基本番組表 KTSあなたのかごしまベルト化」『KTS鹿児島テレビ50年史: 1968-2019 50th Anniversary』鹿児島テレビ放送、2019年 pp.316-319
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