杜氏(とうじ)
杜氏
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杜氏(とうじ、とじ)とは、日本酒の醸造工程を行う職人、およびその集団や統率者を指す。
- ^ a b 丹波杜氏 丹波篠山市商工観光課(2020年1月1日閲覧)
- ^ 吉田元『江戸の酒 その技術・経済・文化』(第1版)朝日選書、1997年、p60頁。ISBN 4-02-259669-4。
- ^ a b c 【けいざい+】「田中六五」の奇跡(下)新設の蔵 テクノロジーと高みへ『朝日新聞』朝刊2022年9月3日(経済面)2022年9月12日閲覧
- ^ 実は酒どころ栃木 21世紀発祥「下野杜氏」が活躍『日本経済新聞』電子版(2019年6月28日配信)2020年1月21日閲覧
- ^ 下野杜氏(しもつけとうじ)とは?(2020年1月21日閲覧)
- ^ 和久井映見、20年ぶりの『夏子の酒』ロケ地に感涙「とても幸せです」マイナビニュース(2014年12月4日)2019年12月14日閲覧
- ^ 酒蔵が「女人禁制」になった理由─ 時代に合わせて変化する、造り手の働き方 SAKETIMES(2018年7月25日)2020年1月1日閲覧
- ^ 稲保幸「お酒の伝来」『日本酒15706種』誠文堂新光社、2007年。ISBN 978-4-416-80797-2。
- ^ a b 高浜春男『杜氏 千年の知恵』(初版)祥伝社、2003年2月25日。ISBN 4-396-61179-X。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 日本名門酒会 公式サイト 2007年の情報 2008-08-25閲覧
- ^ 福井新聞社編集局編「杜氏のふるさと」『ふくい新風土記』福井新聞社、1962年、225-227頁。
- ^ 酒蔵と納豆荻野酒造 蔵元ブログ(2014年11月1日)2020年1月1日閲覧
- ^ 納豆菌のみならず他にも様々な雑菌が酒に悪影響を与える。
杜氏(とうじ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:16 UTC 版)
酒蔵からの信任を受けて杜氏集団を組織・結成・統率する酒造りの最高責任者。野球にたとえるとチームの監督にあたる。桶算(おけざん)と呼ばれる、酒造りにかかわる様々な予算と収支の管理、醪の仕込み・醸造・安全の管理、蔵の管理など全てを請け負う。別項に詳しいように、蔵内では伝統的に親方と尊称されるが、現代では部長など様々な呼び名がある。
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杜氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 03:39 UTC 版)
杜氏の我流で、全量に一般米を使用した純米酒「杜氏の腕試し」を単年度限定で商品化するなど、個性的な酒造りに一役を担っている。ビールの製造責任者は藤森和彰。
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杜氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:39 UTC 版)
2018年(平成30年)現在、イギリス人のフィリップ・ハーパーが務める。 フィリップ・ハーパーは、1966年(昭和41年)3月18日、英国バーミンガムに生まれ、南西部のコーンウォール州の鉄道の駅もない田舎の村で16歳までの少年期を過ごす。学生時代には、オックスフォード大学文学部ドイツ近代文学専攻でゲーテ、カフカなどを研究。大学卒業後、1988年(昭和63年)に日本の英語講師派遣プログラムことJETプログラム(外国語青年招致事業)で、大阪市の小・中学校や大阪府立高等学校の英語科の指導助手として来日した。 職場の飲み会で、互いにお酌をしたり、お猪口のような小さな器で酒をすする日本の酒のスタイルを面白く感じたことから、日本酒とその文化に興味をもつ。その後、趣味の音楽を通じて親しくなった学校職員の同僚が無類の日本酒好きであったことから、その同僚の中学時代からの友人も交えて、3人で居酒屋で飲み歩くうちに日本酒(吟醸酒)の魅力に目覚める(この3人ともが現在酒造りに携わっている)。派遣期間終了後も日本に残り、英会話学校に勤務する傍ら、夜は地酒専門の「銘酒居酒屋」でアルバイトをしつつ、蔵見学や酒米の田植えにも足を運んだ。1991年(平成3年)、先に学校職員を辞して酒蔵の蔵人になっていた友人と同じ、奈良県葛城市の梅乃宿酒造で蔵人として酒造りに携わりはじめる。当初は就労ビザの申請が却下され、入国管理局に通い続けた末になんとか文化活動ビザを取得しての就職であった。翌1992年(平成4年)には日本人女性との結婚により、配偶者ビザを取得している。 ハーパーが就職した当時の梅乃宿酒造の杜氏は但馬杜氏で、5年目から南部杜氏に変わった。ハーパーは二人の杜氏を「おやっさん」と呼んで師事し、二つの地域で伝承されてきた酒造りの技を吸収、酒造りの全工程を蔵人として働きながら学ぶ中で、山廃や生酛造りも習得する。2001年(平成13年)、南部杜氏協会主催の杜氏資格選考試験に合格。その年、大阪府交野市の大門酒造に杜氏補佐「頭(かしら)」として入社。2003年(平成15年)のひと冬のみ、茨城県の須藤本家で酒造りに携わり、その後はふたたび大門酒造で勤務。2005年(平成17年)に杜氏となる。 木下酒造には、2007年(平成19年)に杜氏として入社。11代目当主の木下善人社長から、地元で支持されてきた普通酒と大吟醸の味を踏襲する以外については全面的に任され、即座に醸造用乳酸を使用しない「生酛」造り、蔵付きの天然酵母のみを用いる「自然仕込山廃」に着手。2008年(平成20年)及び2012年(平成24年)の二度、全国新酒鑑評会(独立行政法人酒類総合研究所主催)にて金賞を受賞した。明治時代から続く同鑑評会で、外国人杜氏の受賞は史上初。 愛読書は尾瀬あきら作のマンガ『夏子の酒』で、「酒造りのディテールも書き込まれていて、参考になり、何度も読み返す」という。 英文著書に、講談社インターナショナルから1998年に刊行された『The Insider's Guide to Sake』や、2006年刊行の『THE BOOK OF SAKE』がある。酒造りのオフシーズンにはニューヨーク、ハワイ、香港など海外で講演するなど、海外への日本酒の普及活動にも取り組み、全米日本酒歓評会の審査員を務める。内閣府の海外向け広報誌「High lighting JAPAN」2012年1月号(英文)でも紹介されている。
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杜氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:47 UTC 版)
2009年(平成21年)3月に、41年間務めた日下部杜氏が死去。5代目蔵元・行待佳平の長男である行待佳樹が、25歳で杜氏に就任する。 行待佳樹は、1983年12月28日生まれ。東京農業大学醸造学科卒。酒の味はイベントで覚えたという。2005年(平成17年)から2年間、石川県加賀市の鹿野酒造において能登杜氏四天王と称される農口尚彦のもとで修業した後、実家である竹野酒造で蔵人として3年働いた。杜氏として酒造りに挑んだ初年度の「弥栄鶴亀の尾蔵舞(純米酒)」で、2010年(平成22年)春季全国酒類コンクール純米酒部門の1位を受賞した。「まだ誰も飲んだことのない酒」をめざす試行錯誤のなか、京都の祇園の割烹料理店の主と対話するなかで「ふくらみがあり、かつ雑味がない。しかも超高額にはならない程度」の酒造りを目標のひとつに据え、その思いは「錦蔵舞」に反映されている。 2019年時点、蔵元の長男である佳樹を筆頭に、次男達朗、三男皓平の三兄弟で蔵をささえる。3兄弟全員が一級酒造技能士である。
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