いしはら‐しんたろう〔‐シンタラウ〕【石原慎太郎】
石原慎太郎
石原慎太郎(いしはら・しんたろう)
1932年(昭7)、神戸生まれ。俳優、歌手の石原裕次郎は実弟。長男の石原伸晃は衆議院議員。次男の石原良純は俳優。一橋大学卒。
神奈川県の湘南高校在学中に、斎藤栄らと同人誌「湘南文芸」を発行。
一橋大学在学中に、「一橋文芸」を復刊し、1954年に「灰色の教室」を発表。
1955年(昭30)、「文藝手帖」同人となる。
1955年(昭30)、「太陽の季節」で第一回文学界新人賞を受賞し、1956年(昭31)には第34回芥川賞を受賞。“太陽族”“慎太郎刈り”という流行語を生み出す。
1957年(昭32)、「宝石」の座談会「現代のスリルを語る」に出席。
1958年(昭33)、「宝石」にハードボイルド「水中花」を発表。
1958年(昭33)、「若い日本の会」を結成。
1967年(昭42)に発表した「待伏せ」は日本文藝家協会の「文学選集33 昭和43年版」に収録される。
1968年(昭43)、参議院議員選挙に当選。
1969年(昭44)、小田実との共著「日本について語ろう」により第31回文藝春秋読者賞を受賞。
1970年(昭45)、「化石の森」にて第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1972年(昭47)、衆議院議員選挙に当選。
1975年(昭50)、東京都都知事選に落選。
1976年(昭51)、環境庁長官就任。
1980年(昭55)、日本外洋帆走協会会長就任。
1986年(昭61)、「生還」にて第16回平林たい子文学賞を受賞。
1987年(昭62)、運輸大臣就任。
1988年(昭63)、イエローリボン賞を受賞。
1995年(平7)に衆議員議員を辞職。
1999年(平11)、東京都知事就任。
石原慎太郎
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石原 慎太郎(いしはら しんたろう、旧字体:石原 愼太郞、1932年〈昭和7年〉9月30日 - 2022年〈令和4年〉2月1日[3])は、日本の作家、政治家。
注釈
- ^ 園田学園女子大学名誉教授田辺眞人によれば、「私の祖母が、そのあたり一帯のかつての地主につながる家柄だったんですが、その祖母が、石原慎太郎さんが作家デビューして有名になった頃、こんなふうにいっていたのを記憶しています。"あの人は昔、大手に住んでいたんや。大手で慎太郎も裕次郎も生まれたんよ。あのへんは明治くらいまで一本松という大きな立派な松の木があって、石原一家はその松の木の南側の家に住んでいたんよ。山陽電鉄の東須磨駅と板宿駅の間に、昔は大手という駅があって、そのすぐそばやった。"(父親の潔さんは)そこから電車で会社に行ってはったようですよ。家は山下汽船の社員寮で、一見長屋風だったらしい。あの辺は比較的階層が高い人が住んでいて、いわゆる中産階級より少し上のクラスの人が住むところでした。だから社員寮もかなり立派で、造りは長屋風といっても、それぞれ独立した一軒家だったようです。もうその家はとっくにとりこわされていますし、当時のことを知る人もまずいないでしょうね」という[10]。
- ^ 「数学の世界で世界的な業績を残した岡潔氏が、ハルトークスの残した数学での難問の多くをわずかな時間で解いてしまったのは、岡氏自身の述懐だと芭蕉の俳句の研究に没頭し、芭蕉が名句をものしたとほぼ同じ季節を選んで『奥の細道』を旅して、芭蕉が眺めたと同じ風物を同じ季節同じ時刻に眺め彼の名句を観賞したことによるそうな」と石原は紹介している。
- ^ 同点の最高点96点は他に、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』と、古井由吉の『仮往生伝試文』を福田和也は挙げている。それぞれ216頁と199頁[36]。
- ^ 国際勝共連合の事務総長を務めていた梶栗玄太郎の法廷証言による[53]。
- ^ 海運会社独特の制度で、商店でいえば丁稚に相当し、宿舎と食事は確保してくれる代わりに、給料は一切なかった。便所掃除、社員の靴磨き、使い走り。店童は上司から命じられれば何でもやらなければならなかった。時には、質入れや、なじみの遊廓の女郎に菓子を届けることまでやらされた[97]。
- ^ 母・光子が広島県人であるのは古くから知られていた。1971年に出版された『日本人研究 <第2巻>』(板坂康弘著、流動)広島県人の項、259-260頁に「石原慎太郎は父の勤務につれてあちこちで育ったが、血脈は広島である。石原も躁鬱気質の典型的な広島県人」と論じている。
- ^ 佐野眞一は、「ちなみに一橋大には商学部、経済学部、法学部、社会学部の四学部があり、入学試験は第二志望まで希望することができた。慎太郎は公認会計士を目指していたので、おそらく商学部を志望していたはずである。だが入学試験の成績が第一志望の商学部の水準に達しなかったのか、実際に入ったのは法学部だった」としている[105]。なお新制大学への移行当時は、商学部・経済学部・法学社会学部の3学部であったが、慎太郎が入学する前年の1951年(昭和26年)に学部改組が行われ、法学社会学部が法学部と社会学部に分離した[106]。
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石原慎太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
小説家、政治家、元東京都知事。三島は石原文学のよき理解者で、作品集の編纂や翻訳化にも尽力し、石原の己惚れの強さも陽性の好ましいものとして『不道徳教育講座』などで擁護していたが、後年になると徐々に両者の意見の相違が露見し、関係が離れていった。三島は、政治家・石原の内部批判のあり方を叱咤する『士道について』(1970年)を発表し、村上一郎との対談でも、〈石原と小田実って、全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな〉と批判した。
※この「石原慎太郎」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「石原慎太郎」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。
石原慎太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 09:46 UTC 版)
渡邉会長と親交がある石原慎太郎東京都知事(当時)は、「渡邉さんは実質的なオーナーで実力者、天の声というのもあるだろうよ」と11日の記者会見で述べている。
※この「石原慎太郎」の解説は、「清武の乱」の解説の一部です。
「石原慎太郎」を含む「清武の乱」の記事については、「清武の乱」の概要を参照ください。
石原慎太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:37 UTC 版)
「こちら葛飾区亀有公園前派出所の登場人物」の記事における「石原慎太郎」の解説
東京都知事。TVSP第8弾「オドロキモモノキ島の大決戦!」に登場。台風によって飛ばされた両津の作ったプテラノドン(プラスチック製)が都庁の自身の部屋に飛んできたため、唖然としていた。その時両津は「都民税を払いに来た」と冗談を言っていた。
※この「石原慎太郎」の解説は、「こちら葛飾区亀有公園前派出所の登場人物」の解説の一部です。
「石原慎太郎」を含む「こちら葛飾区亀有公園前派出所の登場人物」の記事については、「こちら葛飾区亀有公園前派出所の登場人物」の概要を参照ください。
石原慎太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:10 UTC 版)
石原慎太郎は、村山が社会党国会対策委員長を務めていた際に「米軍横田基地の問題は、本来社会党が取り組むべき課題」と言うと村山が、素直に聞き入れて土井たか子委員長に進言したことから親しくなり、1994年6月の自社さ政権成立直前には「村山さんで行こうよ」と発言。村山事務所を訪ね首相就任を受けるよう要請した石原に対し、村山は「人違いじゃないのか」と一蹴した。
※この「石原慎太郎」の解説は、「村山富市」の解説の一部です。
「石原慎太郎」を含む「村山富市」の記事については、「村山富市」の概要を参照ください。
石原慎太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:30 UTC 版)
全共闘の際、石原慎太郎の作品集を持ってバリケードに入り、「自己統括しろ」と非難された時、「これだけ共同体に対して違和感を持ち、それを突破しようとしている個体の文学はないだろう」と主張しケンカに勝ったことがある。 見城は石原の作品を読むたびに慰撫され、自分の持っているある衝動が昇華されていくのを感じていた。 初めて会うときに見城は40本のバラを持っていった。 さらに『太陽の季節』と『処刑の部屋』を一言一句、最後の一行まで暗唱してみせた。 幻冬舎設立後すぐに、石原は幻冬舎の会社に行き、「未熟な社長だが、見城をよろしく頼む」と言った。そして自分に役に立てることがあるならなんでもやるといい、後日弟の石原裕次郎を描いた『弟』を執筆し、この本はベストセラーになった。 見城は石原に「政治」を書いてもらいたかった。2016年1月に田中角栄を一人称視点で描いた『天才』を出すことになり、これもベストセラーになった。『天才』は見城がつけたタイトルだった。 見城は石原に「老い」を書いてもらいたいと思っている。『太陽の季節』で若さがほとばしる作品でデビューを飾った石原に、『老残』というタイトルで「老い」を描くように要望しているがこれは実現していない。代わりに『老いてこそ人生』というタイトルの本を出しミリオンセラーになった。
※この「石原慎太郎」の解説は、「見城徹」の解説の一部です。
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「石原慎太郎」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
自由民主党の国会議員 | 北川知克 宮澤洋一 石原慎太郎 進藤一馬 中西一郎 |
たちあがれ日本の人物 | 藤井厳喜 唯是一寿 石原慎太郎 戸塚進也 足高慶宣 |
東京都知事 | 美濃部亮吉 東龍太郎 石原慎太郎 安井誠一郎 青島幸男 |
日本の芸能人 | 赤木蘭子 三谷幸喜 石原慎太郎 深見亮介 峯崎亜里沙 |
日本の小説家 | 南房秀久 別唐晶司 石原慎太郎 大島真寿美 岡田幹治 |
日本の映画監督 | イワモトケンチ 三谷幸喜 石原慎太郎 花堂純次 折田至 |
日本の脚本家 | 鈴木卓爾 三谷幸喜 石原慎太郎 藤咲あゆな なかむら治彦 |
日本の評論家 | 森田浩一郎 中津燎子 石原慎太郎 上野昂志 山崎行太郎 |
推理作家 | 斎藤栄 栗本薫 石原慎太郎 ファン・セヨン 島久平 |
日本の推理作家 | 斎藤栄 栗本薫 石原慎太郎 末浦広海 本城雅人 |
芥川賞受賞者 | 室井光広 李恢成 石原慎太郎 赤瀬川原平 高城修三 |
官能小説家 | 北原童夢 宇能鴻一郎 石原慎太郎 藍川京 団鬼六 |
日本の探検家 | 藤井宣正 近藤重蔵 石原慎太郎 堀江謙一 吉阪隆正 |
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