新日本出版社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 14:35 UTC 版)
株式会社新日本出版社(しんにほんしゅっぱんしゃ)は、日本の総合出版社。社会・政治から絵本・児童書まで、幅広い分野を扱っている。月刊『経済』の発行元。「平和の棚の会」に加盟。
- ^ [1]
- ^ a b “日本共産党100年への手紙 | | 有田芳生”. 毎日新聞「政治プレミア」. 2022年6月7日閲覧。 “私は、共産党員の両親の下に生まれた。高校生の頃、上田耕一郎さん(後に副委員長)らの論文に感動して、70年に18歳で入党した。当時、機関紙「赤旗」は長大な論文がしばしば載り、政治経済から文学まで全世界を分析し尽くす知的興奮に満ちていた。私の入った立命館大など複数の大学は、(共産党系青年組織)日本民主青年同盟の同盟員が1000人以上。若々しい党だった。大卒後は、共産党系の新日本出版社の編集者となった。党本部に出入りして、上田副委員長の部屋へもしばしばお邪魔した。”
- ^ トップページ>一般書>政治・社会・経済>政治・社会>日本共産党 - 新日本出版社公式サイト、2016年1月12日閲覧
- ^ [2]
- ^ a b 両親が日本共産党員で自身も高校生時代に入党した有田芳生は1977年に入社し、1980年に上田日本共産党副委員長と小田実の対談掲載に関わった。しかし、掲載後に小田実が日本共産党を批判した余波で、有田は査問と自己批判書提出を強制され、1984年に新日本出版社を追放されている“日本共産党100年への手紙 | | 有田芳生”. 毎日新聞「政治プレミア」. 2022年6月7日閲覧。 “2回の査問の末、除籍処分に 風向きが変わったきっかけは、80年の「文化評論」に載せた上田副委員長と作家の小田実さんの対談だ。事前に宮本顕治委員長(当時)も了解した企画で、掲載号は完売したが、数カ月後、小田さんが公の場で、共産党を、市民運動などを自党に系列化する「既成政党」として批判した。小田さんと共産党の関係が悪化し、私まで党内で批判された。84年、長時間の「査問」(追及)を受けた末に自己批判書を書かされ、社を追われた。 ところが、2005年に小田さんと上田さんは雑誌で再び対談した。対立の総括や和解の経緯説明は一言もない。人生を変えられた者としては、どうしても解せなかった。”
- 1 新日本出版社とは
- 2 新日本出版社の概要
- 3 関連項目
固有名詞の分類
- 新日本出版社のページへのリンク