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しょうなん しやうなん 【湘南】
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湘南
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/28 05:22 UTC 版)
湘南(しょうなん)とは、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。語源は、かつて中国に存在した長沙国湘南県で、現在の湖南省南部地域の地名である[1]。
目次 |
歴史
国内文献における「湘南」の初出は倭名類聚抄で、かつて中国に存在した長沙国湘南県である。中世中国の湘南では禅宗が発展し、そのメッカであった。現在の日本では「湘南」とは主に神奈川県相模湾沿岸を指すが、うち禅宗を保護した鎌倉幕府の拠点「鎌倉」は、現在も禅宗臨済宗建長寺派および臨済宗円覚寺派の大本山「建長寺」・「円覚寺」の所在地であり、鎌倉時代には夢窓疎石らにより日本の禅宗の中心地ともなった禅宗と非常に密接な関係を有する土地でもある。
現在の日本では、「湘南」は各方面で曖昧に使われている言葉であるが、俗的にはおおむね神奈川県南部を指す地名として用いられることが多い。鎌倉、江の島などは観光資源も豊富で、夏を中心に多くの観光客を集め、昨今は「海・太陽・若者」など、主に映画、ドラマ、歌の題材等により造り上げられた良好なイメージなどから、その範囲が拡大される傾向にある。
「湘南」の由来
「湘南」とは、もともと現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部のことで、かつては長沙国湘南県が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられ、「禅宗」を保護した鎌倉幕府の北条得宗家が居し、国内初の禅寺「建長寺」や「円覚寺」を擁した鎌倉周辺の地域が、中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる[2]。実際に、円覚寺の僧夢窓疎石の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、1664年ごろ、室町時代に中国から日本に移住した中国人の子孫が小田原に居してういろう商人となり(崇雪という人物)、自ら創設した大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している[3]。
明治期の「湘南」
江戸期に大磯を発祥の地として命名されたといわれる「湘南」は、明治期には政治結社名や合併村名に用いられた。このころは、相模川以西地域が湘南、相模川以東地域は湘東または新湘南という認識であった。明治期の「湘南」のイメージは、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる[4]。
一方、明治維新によって当時の西欧の流行であった海水浴保養が日本にも流入し、逗子や葉山、鎌倉、藤沢などの相模湾沿岸が海水浴に適した保養地として注目され富裕層など特権階級者の別荘地となり、現代の湘南文化の礎となる風俗文化が生まれた。
1897年に赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が逗子の自然を國民新聞に『湘南歳余』として紹介、翌年1898年の元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂し、随筆集『自然と人生』(1900年)を出版した[5]。これがきっかけとなり、当初は相模川西岸に限定された「湘南」は、いつしか相模湾に面した地域一帯を指すようになった。
湘南ブランド
近代[要出典]から現代にかけて、「湘南」は一種の地域ブランド名として関東地方で著名となった。[要出典]湘南ブランドの由来は、明治時代に大磯、鎌倉、葉山地区が東京近郊の海浜保養別荘地と目され、少数ではあるが文人や政財界の要人(特権階級の富裕層)によって別荘が建てられたこと、そしてこの別荘地が関東地方を中心に湘南として認知されていったことにある。この別荘はイギリス文化を代表とする西洋文化に基づくものである。別荘地・湘南の文化・地域は、関東大震災や太平洋戦争などを転機にその位置付けはより「カジュアルで日常的、庶民的」なものへと移行し、現在ではより広くの文化・地域を指すものとなっている。
明治期から戦前までの湘南ブランド
湘南ブランドは、明治維新に伴う日本の近代化の経緯で生じた富裕層の文化が起源となっており、誇大化されたイメージは、その発祥期においては一般庶民の高級志向の対象の一つにもなっていた。こうした「湘南」のイメージが醸成された背景には、以下のような歴史的経緯がある。
- 1879年(明治12年)- お雇い外国人で東京医学校の講師であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ博士が、内務省より海水浴場候補地の諮問を受けて江の島を訪問、片瀬が適地と答申する。
- 1882年(明治15年)- 明治政府の使節団がロンドン近郊のブライトン海浜保養地を視察
- 1885年(明治18年)- 軍医総監の松本順の勧めにより大磯に海水浴場を設営由比ヶ浜の三橋旅館が海水浴場を開設したことを東京横浜毎日新聞で広告
- 1886年(明治19年)- 藤沢の鵠沼海岸に海水浴場を開設
- 1887年(明治20年)- 東海道線の横浜駅と国府津駅間が開業(保土ヶ谷駅、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅、国府津駅を設置)
- 1888年(明治21年)- 大船駅が開業
- 1889年(明治22年)- 旧日本海軍の軍港となった横須賀に至る鉄路として横須賀線が開通(鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅を設置)
- 1891年(明治24年)- ベルツ博士の推奨の下、葉山に有栖川宮別邸が竣工
- 1893年(明治26年)- 葉山に北白川宮別邸が竣工
- 1894年(明治27年)- 葉山御用邸が竣工
- 1897年(明治30年)- 徳富蘆花が東京赤坂から逗子柳屋に転居
- 1898年(明治31年)- 國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)が掲載される。
- 1900年(明治33年)- 『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版される(逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を西洋画風に紹介)。
- 1921年(大正10年)- 神奈川縣立湘南中學校を藤沢町鵠沼に開設
- 1922年(大正11年)- 歌誌『明星』2月号に荻野綾子の『湘南にて』掲載(鵠沼を詠む)。
- 1928年(昭和3年)- 高瀬弥一の江之島水道株式会社、玉川水道と提携、湘南水道株式会社として事業を拡張。
- 1930年(昭和5年)- 湘南電気鉄道が営業開始、黄金町から浦賀駅までと、金沢八景駅から湘南逗子駅までの路線が開業。「湘南電車」と呼ばれる。
- 同年 - 神奈川県土木部、湘南海岸道路(川口村片瀬龍口寺-中郡大磯町間)の敷設計画に着手。(1936年全通)
- 1931年(昭和6年)- 湘南瓦斯株式会社、藤沢町鵠沼で創業。
- 同年 - 湘南養蚕実行組合、藤沢町で結成
- 1932年(昭和7年)- 植物学者久内清孝、『植物研究雑誌』に「滅び行く湘南の鵠沼片瀬を弔う」を発表。
- 1933年(昭和8年)- 湘南学園(小学校・幼稚園)を藤沢町鵠沼に開設。
- 1935年(昭和10年)- 都市計画神奈川地方委員会、湘南海岸公園計画地域を可決、答申。
- 同年 - 松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第1輯発行。
- 1936年(昭和11年)- 湘南氷業販売組合、藤沢町で結成。
- 同年 - 神奈川県道片瀬大磯線相模川「湘南大橋」完成。
- 1941年(昭和16年)- 藤沢市内外の文化人・宗教家が集まり、「湘南文化連盟」結成
1882年の使節団に参加した要人達や海浜保養による療養を目的とした特権階級の富裕層が、この地域に広大な庭園付きの別荘を建設したことを契機として、湘南ブランドが形成されていった。
戦後の湘南ブランド
明治時代に富裕層の海浜別荘地というイメージが現実よりも誇大化されて作られた湘南ブランドであったが、関東大震災や太平洋戦争に続く経済成長に伴って、その位置付けは大きく変貌した。湘南電気鉄道は1941年(昭和16年)に京浜電鉄との合併によりその名称が消滅し[6]、戦後の高度経済成長の下では緑豊かで広大な敷地に建てられた要人別荘は切り売りされて東京のベッドタウンとなり、海水浴場は市民の余暇の場として広く一般に開放された。現在、湘南ブランドはサーフィンやニューミュージックなどカジュアルで大衆向けの文化に変貌し、その指す地域も広く神奈川県中南部地域で用いられる傾向にある。
- ^ 倭名類聚抄
- ^ この地域が、景勝地でもある湘江の南部並みの絶景であったという説や、相模国の南部のため本来「相南」と略称するべきところ、佳字を当てる意味もあって中国の湘南にちなんだという説もある。
- ^ 語源は仏教語であるともいわれる。中国の湘南地方(洞庭湖湖南の地域)は禅仏教が発展した地方であることから、禅に関連した古典や事象に「湘南」の文字を見ることができる。碧巌録、湘南葛藤録、西芳寺湘南亭など
- ^ 「湘南社」(大磯を本拠地とする自由民権運動のための政治結社)、「湘南村」(現相模原市城山町小倉、城山町葉山島両地区)など(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 蘆花がこの随筆の中で描写した自然の一例として、「逗子から相模湾越しに望んだ富士山や相豆の山並み」が挙げられる。
- ^ 現在の京浜急行電鉄
- ^ 神奈川県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」の所管区域
- ^ 横浜地方気象台の二次細分区域。横浜地方気象台市町村別区域一覧
- ^ 関東運輸局神奈川運輸支局の出先機関である「湘南自動車検査登録事務所」の管轄区域
- ^ 2005年までの合併を目標としていたが、参加自治体の首長交代などにより白紙化され、事実上消滅
- ^ 神奈川県の市町村合併推進時における「圏域」
- ^ 「神奈川県における自主的な市町村の合併の推進に関する構想」
- ^ ただし、中井町は県西圏域と重複
- ^ ただし、鎌倉市は三浦半島圏域と重複
- ^ 県立高校の学区。神奈川県立湘南高等学校も1980年まで属していた。この学区は1981年の学区細分化によって「鎌倉藤沢学区」と「茅ヶ崎学区」に分割され、2005年には県立高校学区自体が撤廃された。ただし、地区校長会や部活動の地区としては残っている。
- ^ 「しろやまちょうおぐら」。郵便番号は220-0115
- ^ 「しろやまちょうはやまじま」。郵便番号は220-0114
- ^ 神奈川県による国際研究拠点
- ^ 横須賀市と葉山町にまたがっているが、郵便番号は240-0107で横須賀市の一部として扱われている。
- ^ 起点の横浜市を除く。
- ^ 1883年、寒川・茅ヶ崎地域の資産家を出資者とする貸金会社「湘東社」が設立。1925年、「高座郡茅ヶ崎町湘東耕地整理組合」の名にも用いられ、現在は「湘東橋」という橋名に残っている。(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 後の湘南軽便鉄道
- ^ ほかに、湘南大磯病院(大磯町)、湘南馬車鉄道(二宮町)、湘南牛乳株式会社(二宮町)など(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)の子会社
- ^ 横須賀市の最北部に位置する地名。住宅街。郵便番号は237-0066
- ^ 湘南煙草合名会社(小田原市)、湘南度量衡器製作株式会社(小田原市)、湘南介立社(小田原市)など(出典「『湘南』はどこか」)
- ^ 出典「角川日本地名大辞典」
- ^ 湘南小学校「『湘南』とは?」
- ^ 「湘南東圏域」
- ^ 鎌倉市は他にも三浦半島圏域案にも上っている
- ^ 「神奈川県における自主的な市町村の合併の推進に関する構想」
湘南に関連した本
- 湘南スタイル magazine (マガジン) 2012年 02月号 [雑誌] エイ出版社
- 湘南の風 カレンダー 2012 エイ出版社
- ミシュランガイド東京・横浜・湘南 2012 日本語版 日本ミシュランタイヤ
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