松ヶ岡開墾場
松ヶ岡開墾場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:08 UTC 版)
松ヶ岡開墾場(まつがおかかいこんじょう)は、明治初期に旧庄内藩士多数が参加して開墾した松ヶ岡開墾地(明治新政府の生糸立国という殖産興業政策に応じる形で月山麓の原生林を切りひらいて始められた開拓地)の中心施設で、当時建設された大蚕室10棟のうち5棟が現存する。現在の鶴岡市羽黒町松ヶ岡にある。 1870年(明治3年)、戊辰戦争後、明治政府による藩兵解体・秩禄処分への流れが強まる中、養蚕業による藩士救済を企図した酒田県権大参事・菅実秀(すげ さねひで、1830年(天保元年) - 1903年(明治36年))、戊辰戦争時の庄内藩中老)の指導の下で旧藩士およそ3,000人が参加して1872年(明治5年)から月山山麓の開墾が行われた。1874年(明治7年)までに300ヘクタール以上の桑園が造成され、旧西田川郡役所や旧鶴岡警察署等の建設にあたったのと同じ高橋兼吉の手により大規模桑園に見合う養蚕施設として大蚕室10棟が1877年(明治10年)までに建設され、松ヶ岡開墾場となった。開墾場の運営は地縁団体松ケ岡開墾場、農事組合法人松ヶ岡農場は地区内に約55ヘクタールの農地を所有して農場経営を継続している。 1989年(平成元年)に国の史跡に指定。1993年(平成5年)、明治初期に建築された大蚕室10棟のうち5棟が現存、うち4棟が一般公開されている。公益財団法人致道博物館は松ケ岡開墾記念館、庄内農具館、米づくり用具収蔵庫を運営している。 2016年(平成28年)2月、鶴岡市が致道博物館と松岡物産および開拓者の子孫らで組織する地縁団体らから老朽化が進み、維持管理が困難な状態にある松ヶ岡開墾場の施設等を買い取って保全する方針を明らかとした。市は買取によって文化庁の日本遺産への認定を前提として修復整備を進め、地域振興策であるシルクタウン・プロジェクトの中核施設として活用していきたいとしている。 以下、主要な建築物とその概要。特に呼称がある場合は括弧内に示す。 1番蚕室(松ヶ岡開墾記念館) 養蚕や織物に関する資料、全国の郷土玩具を展示。1983年開館。2019年4月、リニューアルオープン。 2番蚕室 食事処、ショップ、ギャラリー等が位置する。 3番蚕室 蚕の飼育。庄内映画村・松ヶ岡産業事務所。 4番蚕室 4番蚕室には2022年4月16日に体験型施設「シルクミライ館」が開館した(開館は午前9時〜午後4時、水曜日(祝日の場合は翌平日)及び年末年始休館)。 5番蚕室(映画村資料館) 庄内映画村資料館。当地で撮影が行われた映画『蟬しぐれ』などに関する展示。ロケの様子や新聞連載時の挿絵を見ることができる。施設を所有する市が、資料館がある五番蚕室を建築構造などが見学できる施設にするため、2019年12月1日で閉館を予定。 松ヶ岡本陣 1622年(元和8年)、庄内藩初代藩主酒井忠勝が築城整備の間、建設した仮御殿高畑御殿を本とする。1686年(貞享3年)、このうち一棟を現在の鶴岡市藤島地域内に移し御茶屋もしくは藤島本陣と称した。さらに1872年(明治5年)、松ヶ岡開墾の本陣として当地に移築。非公開。 新徴屋敷 1870年(明治3年)に現在の鶴岡市大宝寺と道形の間に建設された建物を、1875年(明治8年)に当地へ移築。元々は、解散した「新徴組」の隊士らが庄内へ移住する際にその住居として建設されたもの。 御隠殿(2013年5月) 酒井氏庭園(2013年5月) 旧西田川郡役所 旧渋谷家住宅
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松ヶ岡開墾場
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山形県鶴岡市羽黒町大字松ヶ岡字松ヶ岡29 JR鶴岡駅より車で約20分 鶴岡ICから車で約30分、庄内あさひICから車で約20分 庄内空港とJR鶴岡駅との間を約30分で結ぶリムジンバスが出ている。
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