三島通庸とは? わかりやすく解説

みしま‐みちつね【三島通庸】

読み方:みしまみちつね

[1835〜1888内務官僚薩摩(さつま)の生まれ福島県令・栃木県令に在任中、地方開発強行して、福島事件加波山(かばさん)事件起こし自由党員を弾圧。のち、警視総監となり、保安条例執行し自由民権運動弾圧した

三島通庸の画像

三島通庸 みしま みちつね

三島通庸の肖像 その1
天保6年6月1日明治21年10月23日(1835~1888

鹿児島生まれ、官僚。家は鹿児島藩の鼓の師範尊王攘夷運動活躍鳥羽・伏見の戦後東北転戦した明治4年(1871)東京府出仕酒田鶴岡県令を経て9年(1876)から15年(1882)まで山形県令。15年(1882)1月から福島県令を兼任(同年7月より福島県専任)。翌年10月より栃木県令を兼ねた17年(1884)内務省土木局長に転じ翌年警視総監就任積極的に地域開発進める「土木県令」として知られる一方強権的手法自由民権運動対立福島事件加波山事件誘発した

キーワード 官僚
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 三島通庸三県道改修抄図. [1], [2], [3] / 高橋由市画 〔 〕, 明18.11序 <YDM66394>
  2. 国のすがた / 三島通庸著 十一堂, 明20.3 <YDM352>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

三島通庸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 03:49 UTC 版)

三島 通庸 (みしま みちつね、1835年6月26日天保6年6月1日) - 1888年明治21年)10月23日)は、日本内務官僚位階勲等爵位正三位勲二等子爵通称弥兵衛林太郎千木とも。県令時代は、反対派を押し切り強力に土木工事を進める手法から「土木県令」や「鬼県令」の異名[誰によって?]で呼ばれた。




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