三島通良とは? わかりやすく解説

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三島通良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 02:47 UTC 版)

三島 通良(みしま みちよし、1866年7月17日慶応2年6月6日) - 1925年大正14年)3月9日[1])は、明治から大正期にかけての日本衛生学者医師文部省からの委嘱により日本の児童の調査を行い、日本独自の学校衛生を提唱、推進した。また、母子衛生法の改良、三島式種痘法の発明などを行った。しばしば「日本の学校衛生の生みの親」と称される[1][2]。号は静堂[1]


註釈

  1. ^ 「ははのつとめ」の二版は榎本武揚文部大臣により題字が書かれている。また昭憲皇后もこれを読んだという[5]
  2. ^ 同期には高田畊安、伊藤隼三、関場不二雄、舟岡英之助、下平用彩などがいる[6]
  3. ^ ドイツ語に優れていた三島は、ベルツの講演や講義の際の通訳も務めている[8]
  4. ^ 三島の示した低下理由は以下の通りである。
    第一、維新前後の時勢の変革により日本人全体の健康度に影響を及ぼし、父母の身体及び精神が衰弱した。第二、小児の教育法が進歩していない。第三、小児の身体及び精神の発育状態に合わない過度の授業を施している。第四、学校衛生法が行われていない。第五、身体及び精神摂生法が知育の度に適当していない[3]
  5. ^ 学校医制度は当時及び現代においても日本以外に類はなく、学校衛生における極めて画期的な制度である[12]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k “三島 通良 ミシマ ミチヨシ”, 20世紀日本人名事典, 日外アソシエーツ, (2004), https://archive.is/v3dHP#14% 
  2. ^ a b “三島通良 みしま-みちよし”, デジタル版 日本人名大辞典+Plus, 講談社, (2015-9), https://archive.is/YQ1rT#43% 
  3. ^ a b c d e f g h i j 西川滇八「人と業績・21 三島通良 1865-1925年」『公衆衛生』第46巻第3号、医学書院、1982年3月15日、213頁、doi:10.11477/mf.1401206499ISSN 03685187 
  4. ^ a b c d 横山浩司「日本近代・育児書目録」『社会志林』第50巻第2号、法政大学社会学部学会、2003年12月、166頁、ISSN 134459522021年8月31日閲覧 
  5. ^ a b 近藤幹生「三島通良『ははのつとめ』(明治22年)に関する一考察--家庭育児観の検討」『白梅学園大学・短期大学紀要』第44号、白梅学園大学、2008年、1-14頁、ISSN 1881-2600NAID 110007044823 
  6. ^ a b c d e f g 谷津三雄「三島通良著 衛生唱歌と口腔衛生」『日本歯科医史学会会誌』第4巻第1号、日本歯科医史学会、1976年、33-35頁、NAID 110007155056NDLJP:11494201 
  7. ^ 西村大志「日本の近代と児童の身体 : 座る姿勢をめぐって」『ソシオロジ』第42巻第2号、潮人社、1997年10月、47頁、doi:10.14959/soshioroji.42.2_43ISSN 058413802017年8月8日閲覧 
  8. ^ a b 近藤幹生「三島通良(みしまみちよし)の論文「学制調査資料・就学年齢問題」(1902年)に関する一考察:―学齢成熟をめぐって―」『保育学研究』第43巻第1号、日本保育学会、2005年、51-58頁、doi:10.20617/reccej.43.1_51ISSN 1340-9808NAID 110004799045 
  9. ^ a b c d e f g h 鄭松安「養生思想と教育的学校保健の成立」一橋大学 博士論文 (社会学)甲第143号、2001年、NAID 500000228119 
  10. ^ a b “みしまみちよし【三島通良】”, 世界大百科事典 (2 ed.), 日立ソリューションズ・クリエイト, (1998-10), https://archive.is/YQ1rT#60% 
  11. ^ “三島通良 みしまみちよし”, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典, Britannica Japan, (2014), https://archive.is/YQ1rT#10% 
  12. ^ a b c d 森本稔「明治期の学校衛生--学校衛生関係諸制度の設置とその経過について」(PDF)『天理大学学報』第139号、天理大学、1983年3月、11-25頁、ISSN 038743112017年8月8日閲覧 
  13. ^ a b 鈴木敏夫「教育家と衛生家との衝突「学校衛生顧問会」と武術の学校正科編入問題」『北海道大学教育学部紀要』第54号、北海道大學教育學部、1990年2月、1-12頁、ISSN 04410637NAID 110000340888 
  14. ^ 『官報』第5210号「叙任及辞令」1900年11月12日。
  15. ^ #63 2015年7月24日(金)放送 明治の女傑 下田歌子”. 満足・気分 BS-TBS. THE 歴史列伝〜そして傑作が生まれた〜. BS-TBS. 2018年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月14日閲覧。
  16. ^ 『妖婦下田歌子:「平民新聞」より』解説: 山本博雄、風媒社、1999年2月。ISBN 4833105136 
  17. ^ 三島博士とは”. 三島博士顕彰会. 2016年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月26日閲覧。


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